共感のしくみ
昨年末から、コピーライター養成講座に通っている。
広島での開校はないので、博多に通っている。
全8回、残すところあと2回となった。
毎回事前に出された課題に取り組んで提出し、
当日、講評と講義が行われる。
講師は、広告の最先端で火花を散らしている方々。
ぎらっと刀を抜き放つような存在感に
毎度毎度、背筋がのびる。
先日の講義は、コトバ 山本高史さんだった。
トヨタカローラフィールダー、資生堂、オリンパスなど
心に残るコピーを多く世に出されている。
そこでのはなし。
「コピーは、表現ではなく、伝達である。
伝わるかどうか
そのためにどういう表現をするのかを考える。
伝えたいこと
その商品に対する自分の主観だけで課題に立ち向かうと
とても狭く、人と同じようなところで止まってしまう。
主観は、偏見である。それはつまらないものだ。
偏見ではない、普遍的な共感を探すには、
その商品をとりまくありとあらゆる視点、関係性に
思いを巡らして未知の視点からの「気持ち」を獲得すれば
その商品の、世の中における全体像に近づく。
その中から、最初の受け手である自分が
言われたいことを見つける」
「人は経験でできている。
経験でコピーを書くのならば、若者は年寄りにかなわない。
若者がコピーで負けないために経験を積むには
自分から積極的に経験をとりにいかなくてはならない。
脳で実際に考えることも経験。
実体験でなく想像して経験したことも、脳にとっては経験である。
そして、感想を持つこと。
出くわしたことにいちいち感想を持つことで
脳にとどまらせることができる。これも経験」
それを見た人聞いた人が
「ああ、そうか」とか「ああ、いいな」とか
共感する
心をふと動かし商品に寄り添う瞬間をつくる
そんな言葉を・・・
頭ではわかっているつもりでも
いざ書くとなると、のっぺりまるまった言葉にしてしまう。
「小手先じゃだめなんだ。
自分がほんとうに大きく強くならないとだめなんだ。
その想像力でメッセージをつくることでしか
コピーをうまくできない」と。
まだまだ格闘が足らないのだ。
たぶん、血がにじむような、涙があふれるような
そんな気持ちを日々に流して生きてるからだ。
他の誰でもない、自分の脳のデータベースに
どれだけ感動の瞬間を蓄積できるか。
そしてそれを、どういう切り口からでも出せるようにするには。
技術だ。
日々の鍛錬しかない。コピーはスポーツ。
共感の瞬間をつくるのはほんとうにむずかしい。
それも、知らない人に、言葉だけで。
だけど、あるはずなんですよね。
外国の映画を見ても泣けるんですよ。
言語が違う人のつくったものでも。
歌謡曲を聴いてほろっとするんですよ。
歌詞の内容は体験したことなくても。
そういう
目にみえないものを
言葉にできたらすごい力を持つと思う。
素振り1000回、シャドウボクシング。じたばたしてみます。
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