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2008年7月 2日 (水)

ずっと考えてきたこと


昔の資料を探して、古いメールホルダーを引っ掻き回していた。
(パソコン何度も壊れたり買い替えたりしたけど、なぜかメールなどの履歴データごと無事に移行して今日に至っている)
そこであるメールを見つけた。
2002年、初夏。
それは、自分から自分にあてて出されたものだった。
なんの説明もなく、なにかの記事をコピーして貼付けただけのものだ。

メールのタイトルは「がんばれ」。
それはこんな内容だった。(全文引用します)

——————————————

「手に職のある人どうしが寄りあって、
 対等に仕事をしあう」
という意味ですか?
佐藤 はい。
つまり、自分の腕は職位なのだから、
どの会社にいっても通用するという
誇りを持つことができますよね?
会社を変わるたびに技術もあがり、
ステータスもあがっていというか。

このやりかたをしていくと、
秘密主義ではなくなるんですよ。
「俺の持っているワザはこれだよ」
と明確に伝えるから、
マネしたり意味なく隠したりするのは
とてもかっこわるいですよね?
それぞれの人がそれぞれのワザを生かしたり
磨いたり、主張したりする・・・。

ある会社やある地域だけに埋もれていた才能が、
いろいろな場面で生かされるようになれば、
ほんとうにすばらしいですよね。
できればそれがビジネスになれば、
それぞれの職能が、必要な時に必要なだけ、
十分に生かされるはずです。

トップクリエイターたちと仕事をしていると、
実はその変化は、もうすでにはじまっていることを
ことあるごとに実感する機会が多いですね。
若い人と仕事をしていても、
そういう精神が浸透しはじめていることを感じる。
組織の縦わりがすでに崩れている様子は
「あとは表札のかけかえをいつ現状にあわせるか」
というぐらいの状態になっていると思います。

だから、フラットにやりたいのにやれないと
思っている若い人がいたとしたら、
大切なのは、変に開き直ったりスネたりしないで、
遠慮せずにやりはじめることではないでしょうか。
中にはわかってくれるオトナたちもいるし、
そういう奴・・・自分のことだけを
考えているのとはちょっと違うんだけど・・・
その気になって頑張っている奴を見ると、
助けたくなるのが人の常だと思いますし。

いまは分野を問わず、役職という意味ではない
ほんとうに才能がトップレベルの
「ひとかたまりの人たち」だけは
そういうやりかたで仕事を革新的に進めています。
だったら、ぼくは、そのひとかたまりの人たちと
なるべく多く仕事をする機会を持ちたいんです。


理屈っぽいことを言いすぎたり
発想をストップさせようとするような
変な異分子を入れないで、
好きなことだけを貫く力が強ければ強いほど、
一緒に商品を作る若いクリエイターは、おのずと
志の高いクリエイターになっていきますよね。
ある種がんこで、ある種無邪気な、
そんな人たちと仕事をしていきたいなぁと思います。

——————————————

もうこの佐藤さんがどこの誰なのかもわからない。

当時、言葉にならない思いがもやもやとあった私は、たぶんこの言葉を読んで
「そうだ」。
と思ったのだろう。自分が言葉にできない思いを、そう感じている人が確かに言葉で表明していることが嬉しかったのだろう。だから、自分で自分に向けて、改めてメールを送ったのだと思う。


今、6年の歳月を経て、タイムマシンにのってやってきたそのメッセージをまた受け取った。
「そうだ」。
6年その思いを胸にここまで来たのだ。
改めて自覚する。
だけど、当時と同じ自分ではない。
それに憧れているばかりの自分ではもうない。

いつまでも勉強中、準備中では、いつまでたっても始まらない。
血となり肉となった知識と今の体力で、立ち向かう。

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