一体感って何だろう
それは「昔はそういう一体感があったものだ」という発言で聞いた。
で、今またその一体感が必要なのではないか、と続けられた。
一体感って何だ?みんなが一体になったような感覚?
思い返してみたがそういう経験が自分にはあまりない。いやあったかな?高校生の頃の学園祭とか?あれはただの乱痴気騒ぎか。
最近なんかのテレビ番組で見たが、企業の運動会が復活傾向にあるんだそうだ。社員全員参加の行事なんかだるいと不評のようでも、実際参加してみんなで汗を流せば職場の雰囲気がぐっとよくなるということだった。そのくらい、今の職場には一体感が薄れているということか。
そういえばかつて所属していた会社を社員みんなでひっくりかえして出て行ったとき、新しい会社の仲間たちには奇妙な一体感があった。前の会社には絶対に負けない、あんな会社ぶっつぶしてやる、そんな鼻息の荒いものだった。でも案外会社というのはしぶとくて簡単にはぶっつぶれないし、怨恨でがむしゃらになることの不毛さに気がついた仲間たちはだんだん意気消沈して行き、同時に一体感は消えて行った。
巨大な一体感と言えば戦争なんじゃないか。
体験はしていないけど、戦時中は国が一丸となって闘うことを強制していた。愛国精神で美しく脚色され、違う意見は排斥され、共同の敵に向かっていったのだ。国民全員隣組、死にものぐるいの一体感だったのではないか。そんな一体感ならないほうが幸せだと思う。
さて冒頭の「昔はそういう一体感があったものだ」と発言された方は50代後半かそのくらいの方だ。
昔というのはいつくらいのことだったんだろう。
その方にとって、かつては、みんなが一丸となってなにかに向かって行っているという確かなものがあったのだろう。
裏をかえせば、今はないのだろう。
大問題だ。
一体感がないことじゃなくて、今その確かなものがないということが大問題だ。
その原因はなんなんだろう。
昔のやり方やシンボリックな事柄を今に持ってきたって解決しないだろう。
問題の根は深そうだが、わたしは「かつて」を知らず、今がそうまんざら駄目とも思わない。
その方の中で輝かしく存在している「一体感」を正しく認識することだってできるかどうか。
それは、幻なんじゃないですか。
なんて言ったら怒られるだろうな。
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