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2009年8月25日 (火)

刺身のツマか水道管か


 7月ごろからいろんなことがあって、考え続けている。
 その大きなきっかけは、取材をされる側になったことだ。

 今まで取材をするほうだった。しかし、取材されてみて初めて感じたことがある。
 ほんとうのことは絶対伝わらないという、徒労感だ。
 スタッフの方や取材者はいい方だったしお世話になった。しかし打ち合わせで何度も話したことを回るカメラの前で改めてしゃべるのは砂漠に水をやるようだった。

 それから、取材者としての自分は今までわかったつもりでいたのだと腹の底が寒くなったし、果たしてその人の中にある言葉にならない感覚や思いを、他人が言葉にすることがいいことなのか悪いことなのかすらわからなくなった。それは大きなお世話ではないか。

 自分の立ち位置が見えなくなった。

 茶師、パティシエ、デザイナー、カメラマン、科学者、フローリスト、その世界でプロであるそういう人たちの側にいるわたしは“刺身のツマ”だと思った。だれだって刺身が食べたいわけでツマだけなら価値がないのだ。


 先日、あるフローリストのデモンストレーションを拝見した。
 ふたりのプロが壇上で次々と美しいアレンジメントを完成させてゆく。
 一本の葉が、茎が、花が、その手で表情を与えられ生き生きと咲く。
 見ているだけでうっとりした。

 しかし一番面白く、ずっと見ていたいと思ったのはふたりのゲームだった。

 ルールは、一人がひとつずつ花や葉を挿していく。挿された流れをつなぐようにして次の人が挿す。しかも次の一手が難しくなるように挿す。そうやって交互に挿してテーブルセンター(つまり360度どこから見ても成立する)を完成させるというものだった。

 「こうかな」「この流れをうけてじゃあここに」「そう来たらその流れが壁に跳ね返ってきたイメージでここに」軽やかに、迷いなく、次々と挿されていく。

 「そうなるともう挿すところはひとつ」「そろそろ協力しないと終わらない」
 そして、完成。おのおの一人が仕上げるとこうはならないだろうね、といいつつもさすがの美しさだった。

 なにがおもしろかったのだろうか。

 プロの考えていることが、こうやって言葉になる面白さではないか。

 フラワーアレンジメントは習ったことがないけど、その王道というかルールというか、常識というか、そういうものが学校では教えられるはずだ。その通り生ければ間違いのないアレンジが完成する。しかしプロはそこを破って離れることができている。それが個性となって現れるのだと思う。

 教科書には絶対載せようのない、目に見えないものがこうして語られる。思考の行方が生き生きとわかる。ここに面白さがあるのだと思う。

 ふたりが交互に、いろんな花器にアレンジを完成させていく間、ずっと考えていた。
 流暢な司会者は確かにいらないだろう、しかしここにもう少しふたりの意識の流れを言葉にするよう促せる人がいたらどうだっただろうかと。
 わたしはそこに何をもっと知りたいと思っただろうか。


 大学のサイエンスカフェで、ファシリテーターをさせてもらったことがある。
 サイエンスカフェというのは、市民が気軽に科学者を囲み、珈琲でも飲みながら科学の話を聞く集まりのことだ。ファシリテーターとは、催促者、助長者、「つまり先生あれですね、それをソーメン流しに例えると・・・」などとアホ代表の立場から難しい話をわかりやすく切り崩していく係である。

 先生たちも教えることのプロだから、難しいことを分かりやすく話すことはできる。しかし、科学者と市民(にもいろいろだが)の間には知識やスキルに大きな隔たりがある。
 そのミゾを埋めて本当に理解するには、理学部で基礎を学び、数年は先生について研究してみなくては本当のことは分からない。

 なんだってそうだ。プロの世界を分かろうなんて、100年早い。
 じゃあ分からない人は知らなくていいのか。

 やっぱり知りたいよな。垣間見たいよ。なんでだろう、へえー!ふしぎ!すごい!そう思いたい。

 プロと、そういう知りたい思いとの間をきちんとつなぐことができたら。


 そのフローリストのデモンストレーションのあと、オットとビストロで飲んだくれながらぶつぶつそんな話をしていたのだった。

 「じゃあ立ち位置は見えているじゃない。きみは水道管だよ」

 いくら浄水場できれいな水をつくっても、水道管がなくては蛇口から水がでてこない。
 正しくつながなくては間で漏れてしまう。
 そうかわたしは水道管か。

  ほんとうはほんとうは、浄水場になりたい。「水きれいにするなんてすげー」と言われたいのだ。だって水道管なんかだれも褒めてくれないじゃないか・・・
 しかも水道管のくせにさも自分が水をきれいにしたかのように運ぶやつもいるからな。あんな水道管と一緒にされたくもないのだ。

 でも、刺身のツマよりましかな。・・・ましなのかな?
 ならば水道管のプロになりたい。

 と考えていてふと思った。

 いいなーと思っている、浄水場だと思っているプロたちは、案外自分のことを浄水場なんかだと思っていないのではないか。
 茶師は、その素晴らしい茶という自然の恵みをもっと美味しくして人に届けたいと思うだろうし、フローリストも花をどう束ねたら人の暮しや場面を美しく彩ることができるだろうかと思っているのだろうし・・・それって水道管だ。

 案外、「おれって浄水場。どうだきれいな水ありがたいだろう?」なんて思っているプロはたいしたことないのかもしれない。


 己の仕事は水道管。1ミリも狂わず水を運びたい。

ーーーーー

8/28追記:
上記にてご紹介させていただいたフローリストさんのブログでこの記事をご紹介いただきました。
こちら
彼も水道管だそうです。


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コメント

寺本さん

こんにちは。先日はありがとうございました。

ディレクターとデザイナーについて
アートディレクター水野学さんの著書「グッドデザインカンパニーの仕事」になるほどなということが書いてました。

僕もデザイナーにしか見えない世界もある反面、ディレクターにしか見えない世界もあると思います。

僕は最近、ディレクターにしか見えない世界、伝える道筋を作ることが、すごく重要だなと思ってます。

投稿: T.TAKANO | 2009年8月27日 (木) 18時54分

TAKANOさま
コメントありがとうございます。

そう、語れる花屋が一番です。
でも、小説を語るのに小説を書いてみるという実践は必要かという議論があります。
小説家のことは小説家でないとわからないという説と、
自由な見方を許す説と。
どちらが正しいのかということではなく、
やはり知りたいわかりたいという純粋な欲求に素直になること、これでしかつなげないと思っています。
まだまだ、トライアル中です!

投稿: sunari | 2009年8月28日 (金) 18時38分

語れる花屋.....

一杯飲んだら流暢かも!

投稿: ドゥジエム/山村 | 2009年8月28日 (金) 22時18分

ぎゃはぎゃは

じゃあ次は飲み飲み(笑い)>山村様

投稿: sunari | 2009年9月 7日 (月) 11時31分

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