楽しい勉強【フラワーアレンジメント・入門編】
さて以前「刺身のツマか水道管か」でも紹介したが、とあるフラワーアレンジメントのデモンストレーションを拝見したときのこと。花のプロ同士の華麗なる技の競演をほれぼれと拝見しながら、こう思ったのだった。
『流暢な司会者は確かにいらないだろう、しかしここにもう少しふたりの意識の流れを言葉にするよう促せる人がいたらどうだっただろうかと』
そしたらその主催、ドゥジエムの山村さんから「じゃあおまえやってみろ」とご指名いただいた。(いや実際にはもっと丁寧にお声がけいただいたんですがね)
山村さんが以前参加したプロ向けのレッスンで講師をされていた東京・代官山「フローリストイグサ」の井草隆氏を招いて、クリスマスデモンストレーション&レッスンイベントを開催するという。そのファシリテーター(司会進行理解促進素人代表ツッコミ役)を仰せつかったのだった。
大変だ。花のことはなんにも知らないぞ。なにが分からないのかすら分からない。
ということで、急遽ドゥジエムさんのレッスンに参加してみることにした。
11月某日 14:00〜
西観音にある素敵なお店、SERENDIPITY (MANOS GARDEN 隣り)にて。
三々五々、生徒さんが集まってくる。本日の参加者は5名。そのうちわたしともう一名は今回が初めての参加だ。教材(花材)がそれぞれに手渡される。レッスンの進み具合、スキルによってそれぞれ用意された花が違う。
皆さん手慣れた様子で花束をほどき、思い思いの場所で花にハサミを入れ、投げ込みはじめる。
「あのー先生どうすれば・・・」
「あーではとりあえず生けてみてください。ルールは、花の茎が水に浸かってること。それ以外は自由。はいどうぞ」
えーーーー。自由にやってみろが一番難しいです先生・・・
丸テーブルの上のガラスの花瓶の前で、おそるおそる花束を開く。
この花瓶にしては、茎が長すぎる。よって、切らなくてはいけない。
あああ、こんなに長く育ったのに切っちゃってごめんよ、などと思いながら弱気にハサミを入れる。
そもそもわたしは花屋さんで花を買うのが苦手だ。
そのお店のセンスに甘えて、予算を伝え、アレンジや花束をつくってもらうのは大好きだけれど、それは主に人手に渡る。花のある豊かな暮しに憧れて花屋さんの店先に立つけれど、花々の美しさに圧倒されて選べない。もう舞い上がってしまうのだ。ああ、どれにしよう・・・こ、これかな、かろうじて選んだ花にさてどんなものを合わせてアレンジしたらよいのか。わからない。なのでつい1輪とか、ひょろっと買って帰って細長い瓶に入れ、ちょんちょん水切りして短くなって枯れるまで楽しむのが精一杯。
そんな低スキルのわたしが、これだけの花材をどうまとめればよいのであろうか。
と悩んでいてもしかたないので、2、3輪手に持って具合を見てみる。茶花(茶道の床に飾る花)の場合、先生は花器に入れる前に全部手元であわせて作ってみていたな。いやしかしこれだけ広口の浅い花瓶だと、なんらかの枝止めというか、組み立てていく土台がないと塩梅が悪いのではないか。
ということで、丈が短く込み入ってるゼラニュームの葉をまず挿した。その隙間に適当に切った花を挿していく。あら、この残ったけもけもの細長いのはなんだ、えーいこのへんでいいかとつっこむ。
出来上がりがこちら。
作品には人そのものが丸出しになってしまう気がする。
なんか優柔不断でひょろひょろと寂しくて・・・見られるのが恥ずかしい。
わたしと同じく今回初参加の彼女は、すぐ隣でおんなじ花材で投げ込みしていた。
「どうしたらいいのか・・・困っちゃいますよね」などといいつつも豪快にハサミを入れ、ばしばし挿していかれる。
彼女の出来上がりはこちら。
同じ花材でどうしてここまでちがう雰囲気になるのであろうか。
他の生徒さんもだいたい出来上がり、それぞれ先生に見てもらっている。
「先生今日これ難しいわ〜」「あーでもいい感じですよ」
どのような会話が交わされているのかとそっと聞き耳を立ててみる。
「見る人はどこから入って来てどう見るのか、コンソールの上の空間はどうなのか・・・」
上級者になると、ただその器に対して綺麗に生けるだけじゃなくて、その周りの空間や視線動線までも考慮するようになるのか。
さて先生いよいよ初参加ふたりの花の前へ。
同じ花材を使った彼女の花を見て「・・・生け花されてました?」
「あ、昔、すこしだけ・・・」
なるほどー。道理でハサミの入れ方に迷いがなかったわけだ。
自分で生けた作品をまずデジカメで撮る。その後、一旦全部抜いて、先生が生け直す。
「これが正解というわけじゃないんですけどね・・」
迷いなく、すっ、すっと一輪ずつ挿していく。
そしてこれが手直し後。
「生け花は花や葉で流れを作っていきますね。でも家の花、アレンジはかたまり、色で見ていきます。そうしたら一輪枯れてもそれをとってちょいちょいと直せば、また成立させることができる」
「ここにいる6人全員が綺麗、って思ってくれたらいいですけど、それはなかなか難しい、だけど、6人のうち何人が綺麗と思うか、多くの人が綺麗と思えるようにどうしたら作れるか、それを目指すんだと思います」
なるほどー。
さてわたしの番。
「・・・・花って、人柄が出るって聞いたことがあったけど・・・ウソですね」
それどういう意味ですかわたしの人柄をどうとらえてたんですか、質問攻めにしたかったがこらえる。
「じゃあ直しますね」
花を抜いて、
「まず、水が濁ってますね。これだと花が長持ちしませんね」と水を替えにいかれる。
ああー、迷い迷い抜いたりさしたりしたからだ。水のことなんか考えもしなかった。
抜いて置いた束の上から順にすっと手に取り挿していく。
「え?バラからいきなり挿すんですか?」
「そういうわけじゃないんだけど・・・取りやすいものから。これは僕が花を選んでるからできることなんですよ。花を選んだ時点でもう出来上がりがイメージできてるから」
出来上がりのイメージ。
これはものを作る人の口から必ず聞く言葉だった。
デザイナーも、頭の中にあるその出来上がりを、パソコンで再現するだけだと言っていた。目に見えないものを見て、それを目に見えるものにする力。
わたしは出来上がりのイメージなんか全然浮かばなかった、というよりもイメージしようと試みなかったかもしれない。手に取った一本をどこに挿すかしか見てなかった。
「生けて直してを繰り返して、ああいうときはこうだったという経験を自分の中で蓄積していくんです。今日はこういう感じで花を入れたんだなという感覚を覚えておく。
すると予想値ができてきて、自分の花を見つけることができる。こういう場所で他の人の花を見ることも勉強になりますね。そうやって、自分の中の好き嫌いをつくっていくんです」
確かにわたしは自分が生けた花が好きか嫌いかよく分からなかった。ひとつひとつの鉄線やバラの美しさに目を奪われて、全体を見てなかったな。
剣道歴30年のある科学者に教えてもらったことなのだが、剣道の修練に使われる言葉で「遠山の目付」というのがあるそうだ。遠くの山を見るのに、葉っぱ一枚一枚まで見ない。だけども、山が緑に見えるのは葉っぱを見ているから。こういう「目線」で、敵に対峙しなさい、というような考え方なんだそうだ。 「実際に敵に対すると、相手のまばたきや、竹刀の微妙な動き、足さばき、など、気になる事が一杯あります。どれかに注視すると、相手の「小手先」のフェイントに引っかかり易くなります」と。
小手先にとらわれず全体を見ること。
そして、出来上がりをイメージすること。
そして、1回じゃぜんぜんわからないから、何度も生けてみること。
そうやって、「あーきれい」と思える花が飾れるようになったら。いいなぁ。
花の世界にちょっと触れた。もっと上手くなりたいと思いました。
○ ドゥジエムさんの花のレッスン 詳しくはこちら
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コメント
フムフムと
頷きながら読みました。
花
手直し前のほうが、なんかいい感じに見えるのは僕だけでしょうか??
投稿: ドゥジエム 山村 多賀也 | 2009年12月12日 (土) 10時34分
お!先生!
いえ、写真がよろしくないだけです。
アレンジってそういうことかと思いましたもん。
花が個としてあるのではなく、響き合って違うものになるのだと。
もっと見たい。うまくなりたい。
また伺いますのでよろしくお願いします。
投稿: sunari | 2009年12月13日 (日) 01時33分