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2010年1月27日 (水)

Twitterなう

 いつの間にか年が明け、新年のご挨拶もせず失礼しました。
 みなさま今年もよろしくお願いいたします。
 ブログを更新しない間、ツイッターでつぶやいたりしていました。

 ツイッターとは○○である、と、わかりやすく捕まえたい人が多いのか、ツイッター論のような記事が掲載される雑誌なんかも多く見かけるようになりました。
 ツイッターって何なんでしょうね。
 

 さてかれこれ8年か9年前、まだ世の中にブログも登場していないころ、お仕事で「広島話しまショウ」というサイトを立ち上げたことがあった。
 本来それを命じた社長の思惑はたぶんバイラルサイトの構築だったと思うのだが、ダメ社員は趣味に走った。
 “ムダ話こそ宝の山だ”という合い言葉のもと、世の中にぜんぜん名も知られてない一個人にぶつぶつ書いてもらったものをどんどん公開していったのだった。
 茶バカ、酒屋の黒猫、デザイナー、韓国留学中の友人、制服(陸海空の方)マニア・・・ふつうの人の日常のできごと、おもしろかったなぁ。当然一銭も儲からなかったがそこで知り合った方々とは今も楽しくつながっている。
 その後退社したり世の中にブログが登場したりでそのサイトは閉じてしまったけど、各人ブログでぶつぶつ語り続けている。わたしもその一人。

 時は流れミクシィなども登場し、そしてなにやら140文字でつぶやく新しいやつができたという。
 ちょっと横目で眺めていたけど、去年の暮れからやってみた。

 それはまさに“ムダ話”がさらさら流れるおもしろい岸辺だった。
 テレビや雑誌で知ってる有名人もやっていて、そういう人をフォローするのもぽちっとクリックするだけで簡単だ。すると数秒前にその人がつぶやいた言葉が現れる。ああまさに今世界のどこかでこの人生きててつぶやいてるんだと変な感慨があった。

 一方、「ツイッターをしてると劣等感と焦燥感がすごい」というつぶやきを先日目にした。
 この感覚もよくわかる。
 フォローしている人のつぶやきがタイムラインと呼ばれる画面に次々現れるのだが、フォローしているのは、知人以外は“いいな”と思う人だ。「フォロアーのメンツを見るとその人がどういう世界に憧れているかわかる」とつぶやいた人もいたな。
 へー、いいな、すごいな、へーと読んでいると、自分にはないものをどんどん突きつけられているようで、自己嫌悪のような気分になる。
 
 ちょっと前ツイッター内で話題になったツイッター論に、小田嶋隆氏の「伝書鳩がつぶやくのは、誰のメッセージなのだろう」がある。
 その中で
 「「あえて見ることに決めた以外の世界は見えない」というのが、初期設定になっている」
 というくだりにはっとした。そうだそうだ。
 わたしは「あえて見ることに決めた世界」で自己嫌悪に陥っている。
 ちょっとコッケイではないか。

 しかしなんでこういう自家中毒のようなことになるのだろうと考えた。
 こう、みなつぶやく人々は善意に満ち、中傷や批判がほとんどなく、積極的で建設的な意見が多く、しかも勉強家だ。サービス精神も旺盛で、140文字でいかに有益な情報を出せるかに精を出している。
 いいことだ。
 いいことなんだけど、なんというか、時にその有益な情報に接しそれを出せる立場であることを誇示しているように感じることがある。
 
 そして「ツイッターを「公器」的に使う人と「ぼく/わたしのにっきちょう」的に使う人がいる。どちらか、ではなく、それぞれの考えで投稿の内容/数の配分がグラデーションをなすわけだが、旧来のメディアで情報の発信、媒介、編集に携わってきた人は、その適性を数値(フォロワー数)で量られている気がする」とつぶやいた人がいた。

 フォローしている数よりフォロワーが多いこと、フォロワーの数がより多いこと、それがツイッターの中での強者であるというわけだ。
 フォロワーが多いということは多くの人に支持されることであり、つまり自分のつぶやきを聞かせる数が多い=メディアとして力を持つことだから。

 ひーこんなところにもこんな考え方がと思うとげんなりした。

 かと思えばカフェグローブの取締役・青木陽子さん(yokoaoki)はブログの中でこう言っている。
「人によって使い方はいろいろですが、mixiがどちらかといえばリアル知り合いを辿って行くのに対し、わたしはツイッターは知らない人の中に飛び込んで、自分に刺さる情報を発散している人から人に飛びついて泳いでいくのが面白いと思っています」
 フラットに、無邪気に楽しんでおられる。
 そうそう元来そうなのだ。足跡を気にせず、フォローもリムーブも自由で気兼ねなく、ひょいひょいといろんな人の話に首をつっこめるのがおもしろいのだ。
 自分次第。
 それが自家中毒にかからずに楽しむコツのような気がする。

 自信満々なつぶやきが多い中で大宮エリーさん(tsubu_ellie)のつぶやきはこう、カウンセリングルームというか、エリーの部屋というか、不思議な心地よさがある。
 ぶつぶつと自分のいたらなさダメさをこぼし、コメントくれたひとに律儀に返事を返している。これは異色だ。そんな、卑下せんでもええのに、エリーさん面白いし大好きやゆーてみんな思うてはると思いまっせ。と思ってしまう。

 

 こうしてみると、なんだな、ツイッターが何なのかが問題なのではなく、そこでつぶやく人の考え方がつぶやきに発露してる事実と、そこで何を選びなにを善しとするかの個人の問題だと改めて思う。

 自分のコメントを改めて読み返してみて、上記のすべての要素が羅列している。
 偉ぶりたい、気が弱い、自信がない、無邪気でいいかげんな自分がそこにいる。
 ごった煮のハラの中丸見え。
 ツイッターとは?
 あえて言うなら「脳内ストリップ劇場」ですかね。

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