逃げろ
ツイッターって中毒性がある。
じゃんじゃん更新するタイムラインに、いろんな会ったことないけど知ってるような人の満を持したつぶやきが現れて、そういう中からへーとかふーんとかこりゃいいなと楽しんでいたのだ。楽しんでいただけならよかったが、いちいち読まなくちゃ落ち着かなくて、旅に出ても仕事をしてもつぶやくとしたらという言葉を考えて、読まない今のタイムラインが気になって、あいほんを手放せない日々が続いていた。
で、
知らなくていいことまで知ってオーバーフローして、一気に嫌悪感が増していやになって、ぶっつり止めた。
なんなんだ。
いつもわたしはそうだった。
夢中になって、いっしょうけんめいになって、ぜんぶがそれになって、なにか見えてきて、嫌になって、いやなのが耐えられなくなってぶちっと切り捨てて逃げるのだ。
仕事もそうやって転々としてきた。ああ負け戦人生。
自己嫌悪でうつうつとしてたとき、たまたま通りがかって「恋する化学物質」というはなしを読んだ。
恋すると生まれる感情は、脳内のドーパミンとセロトニンの働きによるらしい。
ドーパミンはこう、寝食忘れて夢中になる作用があるわけだが
(以下引用)ーーーーーー
恋をしている人の脳は
セロトニンの分泌量が低下するのです。
ドーパミンは増加するけど、セロトニンは低下。
セロトニン分泌量が低下すると
一種の強迫観念を抱くようになります。
強迫観念とは
「わかっているけど、やめられない」状態。
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おお、ツイッターに恋していたのかわたしは。アホくさ。
というわけで今は脳内物質も安定し、ツイッターもたまにひやかすくらいのつきあいを心がけようと思っている。
それにしても。
朝青龍をやっつけて、腰パンの国母くんの競技が終わって、さあ次は誰を吊るし上げるのか。それともヒーローにまつりあげてハシゴを外すのか。
ざまあみろ、そういう胸のすくカタルシスのシナリオはもう用意されているはずだ。
なんなんだ。
なんかいやだなと思っていた先日、実家の母が
「雑誌買ってみたけどどうも若い人向けだったみたい。読んだからあげるわ」と雑誌をくれた。表紙に“35歳”がどうたらって書いてあるじゃんか。買う時わかるじゃろとぶつぶつ言いながらも普段絶対自分では買わない雑誌だったので興味深くめくってガクゼンとした。
有名モデルが“ファッション雑誌のエディター”という設定で「金曜日、ファッションブランドの展示会巡り」などとスタイリッシュな1週間コーデを披露していたり、「大勢の前でのプレゼンもシャイニーニットでオーラ倍増」「ふたりきりの打ち合わせロングニットで急接近」などと妄想爆発しているのであった。
なんというか、35歳、そんなことでいいのかよ、と腰が抜けた。
「これが名誉で幸せなことだ」というわかりやすい例がエディターだったり、大勢の前でプレゼンする私だったりするのだ。
幼稚すぎるじゃろと思いつつバラバラめくっていると、最後の方は「働きながら子どもを産むこと」についての特集だった。そして不正出血に悩む人へのアドバイス、産婦人科を受診しましょうという読み物もあった。
怒りをとおりこして切なくなってしまった。
この雑誌を読む35歳の女性たちは、勝ったり幸せだったり、与えられるそういうイメージと自分とのミゾを埋めようとしてどれだけのお金をつかいどれだけ努力しているのか。
そのミゾは永遠に埋まらない仕組みなのに、気がつかないように目隠しされてる。
JMM (Japan Mail Media)から配信されたメールニュース「[JMM571W] 心理経済学講座セカンドシーズン 第32回/妙木浩之:東京国際大学人間社会学部教授」
の中にこういう記述があった。
(以下引用)ーーーーーー
ちなみにファシズムとは何か、これが精神分析を始め心理学が取り扱ってきた権威主義的人格についての研究の主題でした。そしてその研究を始めたフランクフルト学派にいた時代のエーリッヒ・フロムが述べた「自由からの逃走」という、経済状況が悪くなることと関連して、私たちの心の中に自由から逃走して、画一的な全体主義的な、カリスマ待望の心性があることが明らかになりました。この心性は以前にお話しした集団における原始心性の現れ方のひとつです。そして資本主義社会では、不幸にもユダヤ人虐殺と対になっているのです。その原始心性が生み出す想定が、私たちの深部にある依存傾向、そしてそれを逆転させて競争を勝ち残ろうとする権力志向、さらには排除を説明してくれるものです。羨望は嫉妬を圧倒します。
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「自由からの逃走」。
なにか画一的な全体にとりこまれて安心して心地よくいたい、そのための全体の仮想敵と理想像が必要で、それを日々読ませ聞かせ刷り込んでいる。
誰が?それは自覚しない善良な市民がよかれと思って?
そしてだれを虐殺しようとしている?
先日映画を見に行ったのだった、「ゴールデンスランバー」。
首相暗殺事件の「オズワルド」にされた男が仙台の街を命がけで逃げまわる話だ。
伊坂幸太郎氏の直筆原作サイン本をいただいたこと(自慢)もさることながら、音楽監督・斎藤和義、見ない訳にいくまい。
ビートルズの「ゴールデンスランバー」をカバーした曲がオープニングにかぶさってくるところでもうすでに泣けた。映画館の空間にせっちゃんの声が響くだけで泣けた。
劇中曲すべてせっちゃんの音だった。
当然サントラも買った。
最後の大脱走シーンのテーマに歌詞がついた「ランナウェイ〜こんな雨じゃ〜」という曲の歌詞がこうだった。
(以下引用)ーーーーーー
こんなところで殺されるくらいなら オレは逃げる
たとえ無様な姿さらしても オレは自由だ
ねえ キミは満足かい?
名無しでコソコソ送信 そいつに返信するしょっぱいバカ
吐き気がするぜ こんな雨じゃ
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マイケル・ジャクソンが亡くなって、聞き覚えのある曲をよく耳にするようになり、愛のメッセージを伝えた人だったと皆が言うけれど、英語がからきしだめな私にはメロディーしか記憶がなくて、どんな歌詞の意味なのか知りたくて、なにげに「今夜はビートイット」を検索してみてたまげた。
Beat itとは、ずらかれ、つまり、逃げろという意味なんだそうだ。
知らなかった。
マイケルも、逃げろと言っている。
殺されはしないとは思うけど、逃げた方がよさそうじゃないか?
立ち向かうにはあまりに相手が見えなさすぎてでかすぎて、もしかしたら本当にくたばってしまうかもしれない。
逃げろ。
慎重に、そいつは隠された悪ではないのかと疑うこと。
うかつに握手をしないこと。
正しいこと本当のこと、そう言われていることが本当に正しいのか注意すること。
そして逃げろ。
卑怯だろうがなんだろうが、逃げろ。
ただし孤独だ。
今も荒野を走ってる。どこに向かうのか?それはわからない。
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