こしひもの件
お茶のお点前の時、亭主(お点前する人)は腰に「袱紗(ふくさ)」をつける。
つやつやした朱赤の絹のハンカチみたいなものをこう、三角にたたんで帯のところに挟む。これで、持ち出した道具を拭き清める。
しかしお稽古で着物を着ないとなると、袱紗をつける場所に困る。
わたしは若干幅広のベルトを装着し、そこに挟んでいる。
今年に入ってお稽古をはじめたお嬢さんも、それには苦慮していた。
腰ではくタイプのズボンに対応した今どきのベルトは、ウエストにはぶかぶかで、袱紗を挟んでもどうも具合が悪い。
ということでこないだは、ピンク色のリボンにしたようだ。
と思ってよく見ると、それは「腰紐」だった。
こ、こしひもだー。
そして何ともいえない気分で、お茶をいただいたのだった。
それ以来こしひもの件がずっと頭の中にモヤモヤとあった。
で、昨夜仕事のついでにちょいと人に話してみたのだった。
「かくかくしかじかでね、彼女、こしひも結んでたんだよ」
「そりゃあ恥ずかしいね」
「・・・今なんて言った?」
「え?はずかしいね、って」
「なんで恥ずかしいって思った?」
「だって、よーわからんけど、こしひもって言ってみりゃブラジャーのひもみたいなもんでしょ?」
「そう・・・そうなんだよ・・・」
話をした人はお茶を習ったこともないし、着物も着ない。
だけど、「こしひも人前に巻いて出るのは恥ずかしい」と言った。
この話で、こしひもの彼女を恥ずかしい人だなんて非難する気はさらさらないのだ。
こしひもは、単なるたとえ話に過ぎない。
「ねえ、こしひも人前で巻いて出るもんじゃありませんって、かーさんに言われたことある?」
「ない」
「わたしもない」
「なんで恥ずかしいって思ったんじゃろ、どこでその感覚を身につけたんじゃろ?」
「・・・うーん」
こしひもって、何ですか。どういう役割がありますか。どういう意味がそこにありますか。
それが「わかる」感覚。
それって、こしひもに限った話じゃないんだよなぁたぶん。
常識とか知性とか、一言で説明しようとしたらなんかはみ出す感じもする。
そしてそれは、どうやったら培うことができるんじゃろうかと思う。
整理整頓しましょう、あいさつをきちんとしましょう、本を読みましょう、
5さいのころから言われてましたけど、今更ながらもしかしてそういうところの繰り返しからしか培われないのかもと。わたしももしかしたらこしひも巻いて仕事してるのかも。
そんなことを、保育園卒業する息子を見ながら思うのであった。
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