寺子屋ミシマ社
5/8(土)、ミシマ社のワークショップ「寺子屋ミシマ社」に参加してきました。
ミシマ社とは、東京・自由が丘の“ほがらかな出版社”。
2006年の創業から、すでに21冊の本を出している出版社さんです。
ミシマ社のことを知ったのは実はそんなに前ではない。
かれこれ2年前、コピーライター養成講座に通った時のこと。
福岡の、その教室で(株)コトバ・山本高史氏が遅刻してくる生徒を一喝してこう言った。
「神戸女学院大学の内田樹さんがこういっていた、
それはおそろしくあたっていてびっくりした、
今の子どもは生まれつき消費者である、
だから選択することに長けている、
「先生、これって役に立つんですか?」、
自分には選ぶ権利があると思っている、
自分は客だと思っている、
おまえら客だ、みんなお客さんだ、
だからおまえらだめなんだ。」
恥ずかしながらそこではじめて内田樹氏の名前を知る。
一体、天才山本高史が共感の実例として突きつけたその人はなんなのか。
著書を読んでみてびっくりした。
なんてまともなことがかいてあるんだ。
失礼な物言いで大変申し訳ないが、素直にそう驚いた。
日々大声で届く眉間にしわを寄せた情報や言葉の数々を、軽々と、笑顔で「そんなことないでしょ」と喝破してくれた。
内田先生の著書を読んだり、ブログを拝見したりしているうちに、だったと思う、「ミシマ社」のことを知ったのは。
他社の出版本のあとがきにもなぜかミシマ社の方への謝辞が書いてあったりした。
なんだか気まぐれにはじめたツイッターのつながりをたどったらミシマ社にたどりついたりもした。
ミシマ社って。
HPを拝見すると、そのロゴマークは寄藤文平さんがデザインされているらしい。
出版物のいくつかも、寄藤さんが装丁されている。
しかもそこでは奇才・小田嶋隆氏がコラムの連載をしているではないか。
そうこうしてると、糸井重里氏の「ほぼ日」のコンテンツ「坊さん。」が、ミシマ社から『ぼくは坊さん。』として出版されるという。後で知ったことだが糸井氏の『インターネット的』を世に出した編集者はミシマ社の社主であった。
どうしたことか。
いいな、すごいな、と思うものや人が、ミシマ社につながっている。
と、そのタイミングで「第三回ミシマ社寺子屋のお知らせ」メルマガをいただいたのだった。ああ、行こう、行って見てこようと思ってすぐに申し込んだ。
出版体験ワークショップももちろん気になるので、“出版社の仕事は全身運動!”
というのを体験してみたいと思った。
だけど、いいなと思うもののそばに寄ってみたり触ったり話したりしなくては気が済まない性分が今回ものすごい騒いだのだった。
寺子屋はいやー実に楽しかった!
全員で“肩入れ”からはじまり、ブレストして企画を出し、出版する1冊を決め、コンテンツを練り込み、営業のためのハンドツールをつくり、仕掛け屋の時間ではチョキチョキ工作して店頭POPまでつくった。マラソンなみの怒濤の時間。楽しく激しく過ぎました。
そして最後の授業、小田嶋隆氏登壇。「コラム道・番外編——これからのライティング」。
コラムを書くということ、ライターという職業について。
気持ちのいい脱線と爆笑を伴いながらばっさり話されていく。
小田嶋さんのコラムは何にもくみせずおもねらず、誰もがはばかることを当然のように書く。どちらかというと毒舌ともいえる。しかし語られるご本人の口調はとてもあたたかいものだった。
そして、なんてまっとうなんだ、と思った。
内田先生の本を読んだ時にも感じたことだ。
質問の時間、「お話を伺っているとなんともまっとうで、いったいそのまっとうさはどのように育つものなのでしょうか」と聞いてみた。
「それは、一貫性より“気分”ではないでしょうか。
今、その時の気分で正しいと思う方を常に選ぶ。それは前例と違うかもしれなくて、ダブルスタンダードということにもなりかねないし、組織にいたら変な人かもしれない、でもそれが常にまっとうでいるための方法だと思います。」
ということをいわれた。
サッカーの試合で、イエローカードを出す、あ、こんなので出しちゃった、その前例を守り続けると、1試合で12枚だかぞろぞろ出すことになる。それよりも、前回の判定はおかしかったからナシ!あの程度ではとらない、と次からジャッジできるかどうか。
こんなことをいわれたのは初めてじゃなかろうか。
初志貫徹とか意志の固さとか、そういうものの美徳の善悪でしばりにくる大人ばかりだったのに、“一貫性より気分が、まっとうであるためのキモ”だと。
会社を辞めて独りになって、流しの浪人みたいな生活の中で、漠然と、頼りになるのは勘だけじゃないかという感じがつのってきた。
しかしそれはなんていい加減なんでしょうと後ろめたくなることも多かった。
小田嶋さんに伺ったそのお話で、それでいいのだと改めて思えた。
加えて。
今回の寺子屋に参加するにあたり、ミシマ社のHPをくまなく拝読した。どんな会社なのか知らずに参加するのは失礼なような気がしたからだ。
社主・三島邦弘氏のコラム「ミシマ社の話」
を一気読みして、寺子屋参加にあたり、これを読んだだけでも意味があったと思った。
出版不況の真っただ中に独立して出版社つくるなんてアホかという大多数のありがたい助言が“腑に落ちない”。
“出版不況があるのではない、個人不況があるのだ”という確信。
出版社をつくる!という決意。
必死の説明行脚に出る前に相談した内田先生から「それがいいと思います」と背中を押された歓びと勇気。
「まっとうなことをまっとうに通じる会社にしたい」
そう語る三島氏の来し方に、ぐずぐずしてる暇はないでしょうと、背中をばーんと叩かれたようだった。
こうして、自分のまっとうさを信じて、自力でがんばっている人がいることがなによりもうれしい。日暮れの砂漠に、揺れる明かりを見つけた気分だ。
そして、
「適職とか自分探しということについてどうお考えですか」というどなたかの質問に小田嶋さんが語ったこの答え。
「グリムがもう何百年も前に、青い鳥は近くにいるよと結論づけているのに、なぜ今更自分を探すのか。人はその職業でなく、その人の名において勝ちがある、職はそのひとの一部でしかない。」
ほんとにそうです。
わたしは東京まで探しに来ましたよ。東京に青い鳥がいるのではないかと思って探しにきたのではなく、青い鳥ってどんな色をしているのか、確かめにきた感じだ。
ああ、やっぱり青でした。
自分の肩にとまった鳥の声を、今懐かしく聞いている。
わたしの周りには、すばらしい仲間がいる。ミシマ社のようにひとつの会社ではないけれど、打てば響いてくれる人がよっしゃやろうと言ってくれる。
さあ、新しい力が湧いてくる5月。
三島社長、ミシマ社の皆様、小田嶋さん、寺子屋に参加された皆様。
ほんとうにありがとうございました。
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