« こしひも続考 | トップページ | 続々こしひも »

2010年5月19日 (水)

「楽しい勉強 」は水道管

 ここのところ、静かに、「ひとり楽しい勉強」をしている。

 なんですかそれ。


 なんでだろう、なんかちがう、そうだ、これはいい、すごい、そういう第六感でものごとを判断して今に至っているのだが、その「いい、すごい」と思うものに直接会ったり話を聞いたりしてみると、案外そうでもないとか、やっぱりよかったとか、とてもはっきりする。

 この、案外そうでもない、というのが実に重要だ。想像の中で勝手に凄く祭り上げてたんだなとわかると、新たな基準が自分の中に整う感じがする。

 で、やっぱりよかった、この人の言ってることはまっとうだ、と思う人をたどると、違う人々がそれぞれ同じことを言っていることに気がつく。

 で、その誰もが、先人がこう言っていると、過去現在の誰かの言葉を紹介している。

 それにより、ぼんやりと感じていたことがきちんと言葉で説明されて驚く。


 内田樹氏が「下流志向」という本の中で、『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』を例に挙げて話されていた。
 アナキン・スカイウォーカーは師であるオビ=ワン・ケノービよりも強くなり、師弟関係を捨ててダークサイドに走ってしまう。しかし、師を超えたと思った瞬間にアナキンは成長を止め、師を超えられないと信じているオビ=ワンは成長を止めなかった、だから最後にアナキンは師にぼろ負けする。
(以下引用)
 「今言っている「成長」と言うのは計測可能な技量のことではないんです。ある種の開放性と言ったらいいでしょうか。自分の中のどこかに外部に続く「ドア」が開いている。年を取っていようが、体力が衰えようが、つねに自分とは違うもの、自分を超えるものに向けて開かれている。そうやって自分の中に滔々と流れ込んでくるものを受け止めて、それを次の世代に流していく。そういう「パッサー」という仕事が自分の役割だとわかっているということです。」

 師を持つことができた人は幸せだなとかねがね思っていた。
 師と仰ぐ人の側で下積み的に働いた経験がなく、どいつもこいつもと机をひっくり返し続けてきた野良犬みたいな自分は成長のしようがないとやさぐれていた時期もあった。

 しかし、師は無数にいたのだった。
 今になってやっとわかった。
 たとえ会ったことがなくても、こうしてその考えを丸ごと読ませてくれる人がいる。
 年上の人も、年下の人も、死んじゃった人も、あのひとも、このひとも、師匠だ。なんと贅沢な。

 これが学ぶということなのか、これこそが「楽しい勉強」なのかもなと、改めてかみしめていたのだった。

 よし、「ドア」は常に開いておこう。自分の中を流して、誰かに分かっていこう。

 そう、誰かと分たないもの、自分自身の歓びのためのものはなんと小さいか。

 「楽しい勉強」という、なんだかわからないけどそういうことをやろうと思ったのは、常々遭遇するすごい!とかへー!とかを、自分一人が喜んでるだけじゃもったいないと思ったからだった。

 わたしは、「パッサー」、つまり水道管でありたい。

 さあ、おいしい水を流さなくては、豊かに、誰かに。

|

« こしひも続考 | トップページ | 続々こしひも »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「楽しい勉強 」は水道管:

« こしひも続考 | トップページ | 続々こしひも »