他人の俯瞰
クリエイティブディレクターなんかもういらないんじゃないかなどと思っていたが、そうでもないようだ。
何度プランを出しても変更になる、何回もプレゼンさせられる、何度も設計変更になる、そういう不毛な現場ではよくクライアントの悪口がささやかれる。
悪態つきたくなる気持ちもわからなくはないと思っていたが、お客にとっても迷惑な話なんだと今は思う。
なんで決まらないのか、なんで納得しないのか。
先日もたまたまそういう現場に遭遇したのだが、提案者はお客のいいなりにプランを変更し、それでもなんか納得いかない客はまた変更を指示し、よりヘンになっていくのになおしつづけるデフレスパイラルに陥っていた。
そもそも、の話を素直にしたら、その提案者は「寺本さんのおっしゃるとおり!最初からそうご提案してるんですけどねぇ」と言って帰っていった。お客は「決まらんのはまるでわしらのせいみたいですね」と憤慨。
最初からそうご提案してるんなら、なんでお客の納得を得られないのか。
お客がそう言うからと、お客様は神様です的にはいはいと服従するのは、逆にお客に失礼だ。
もっとも根源的な話に、そうバリエーションはない。大事にして、共通認識すべきことはシンプルだ。
そこを確認しあわないうちから、枝葉のことを話しても決まらないのは当たり前だ。
そして、その根源的なものは、十中八九お客自体の中にある。
お客自身は、知りすぎて気づかないことが多い。それが見いだすべき問題。
クリエイティブディレクターは、他人の俯瞰の視点から、その根源的なものを見つけるのが仕事なんだと改めて思う。問題さえ明らかになれば、解決の方法は幾通りもある。
たいへんフラットな、「他人の俯瞰」をいつも持っていたい。
わたしが好きなこと、いいと思うこと、嫌いなこと、そういうものがわたしを形づくっていることは否めないが、それだけでは狭く足りない。
したがって、わたしはいろんな他人でありたいと思う。
おっさん、おばはん、少女、おかあさん、青年、、、、
・・・おっさんが多めなんですけどね。
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