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2011年5月 3日 (火)

あらわさずにはいられない

 先日母とお茶を飲んでいたときのこと。母が通うカルチャーセンターの教室で、先生がこう言ったのだという。
 「みなさん、お願いがあります。来週から娘が被災地に支援物資を届けにいきます。そのとき、被災された方々に、このレイをかけてさしあげたいと思います。ここに布を持ってきましたから、1枚でも2枚でも、お手伝いしてくださらないかしら?」

 色とりどりの布を、こう筒状に縫い合わせ、中に「がんばって!」というお手紙を入れるのだそうだ。で、編んだヒモをつけて首飾りにするらしい。

 わたしやります!とわらわらと生徒さんが布を持ち帰り、手伝ったそうだ。

 友人たちは、「あんとなもんより、アメの3つでも配った方が喜ばれようにね」「孫に首飾りつくってもろうても、毛糸で首がかいいなるし、ああよなもんいらんわいね。」と。

 「でも言われんしね(笑)」

 そう、先生方は大まじめに被災者のために動いておられるのだ。協力こそすれ、「そんとなもん被災した人もいらんと思いますよ」などという余計なことは言えない。

  
 そういえば、アメリカで「被災地のために折り鶴を折ろう!」という活動があるんだそうだ。
 ニュージーランドの震災のとき、日本から折り鶴がたくさん届き、現地は困惑したというニュースも何となく聞いた。
 国内でも鶴を折る人が後をたたない。なんで?

「アメリカ人よ、なぜ鶴を折る」
この記事にこうあった。

「鶴を折るのは、ドナーファティーグ(募金疲れ)の対策でもあります」
ドナーファティーグ(募金疲れ)・・・そんな言葉があるんですね。

 たしかに、街中に募金箱があるし、募金したお金がどうなるのか役に立ってるのかわからないし、振り込んだってお礼もないし、遅々として復興は進まないし、自分のハシタ金がなんの役に立つのかとがっくりくるし、被災者のことを思うと、無力な自分ですみませんって思うし、たしかに疲れる。

 でも、何か役に立ちたい、助けになりたいという「善意」が、鶴を折らせるんだろうな。
 「思いを形に。届けたい。すこしでも励みになれば・・・」

 鶴を折るのもメッセージを届けるのも、なにかしなくてはという自責の念を解消するための自己満足かもしれない。どうせ自己満足なら、それでも少しでも、現地の人のほんとの役に立つことをしたほうがいい。

 今、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ現地を行き来して突っ走っておられる代表の西條剛央氏のツイッターを追いかけて読んでいる。
 http://twitter.com/#!/saijotakeo

 テレビじゃ伝わらない現実にしびれる。記憶のかさぶたがはがされる。

 氏はご実家が仙台で、叔父さんを亡くされたそうだ。早くにお父様と現地を見て廻り、ぜんぜん物資と支援の手が足りないのを見て、「行政を介すことなく、被災者個々人が必要とする物資やサービスを、必要なところに必要な分だけ無料で届ける画期的システム」を立ち上げられた。

 現地も状況も想像以上に刻々と変化していて、ニーズも多岐にわたってる。現在は物資援助に加え、現地でどう雇用を作るかという段階らしい。

 氏の疾走に共鳴していろんなひとがつながって、しかしおのおのが支援している。

 三陸地方に昔から伝わる津波から逃れるための教えに「津波てんでんこ」というのがあるらしい。
 津波がきたら、人にかまわずバラバラでとにかく逃げ延びろ、というものだそうだ。
 だれかの号令や指令を待っていたら死んでしまう。

 いままさに「支援てんでんこ」、個人でも小さくてささやかでもできる支援がこんなにある、ほら、鶴折ってる場合じゃないよね。

 でも、氏のツイートにこういうのもあった。

「各地から送られてきた応援メッセージが書かれた旗がかかげてあったりする。やっぱりこういうのは嬉しいし、エネルギーをもらえる気がする。」

 要望のある物資を、透明の衣装ケースなどに単品ずつ詰めて(仕分けがしやすいように)送る支援を続けたい。
 そのとき、折らずにはいられなかった鶴や、作らずにはいられなかったレイや、書かずにはいられなかった手紙を添えたら、誰かにっこりしてくれるひとがいるんじゃないかと思う。
 
 こんなに普通の生活をしてる広島ですが、忘れてなんかいないし、なにをしたらいいか考えているし、支えたいし、そう思っている。

ーーーーーー追記ーーーーーーー

 被災地の方にお手紙を書いて、ボランティアの方に託して渡してもらうプロジェクトがあります。

 「お手紙プロジェクト」

 発起人の中村佑子さんはこう書かれています。

「「被災者の方にお手紙を書きませんか。1人1人に届くよう小さな紙で沢山書いて
ください。志津川小学校と志津川中学校に届けます。まだまだ一部ですが直接繋
がっていますので、責任持って渡します。」

4月7日のこのツイートから「お手紙プロジェクト」は始まりました。
その前日まで宮城県南三陸町志津川に一介のボランティアとして訪れていた私は、街ごと失われたあまりの光景と、避難所に漂う悲壮感に打ちのめされていました。

たくさんの方たちの悲しい目、言葉を口に出すと涙してしまう水際の精神状態、
「私たちは忘れられていくのではないか」という諦めの言葉。
いま必要な支援は物だけでなく、人の声、温かさ、ゆっくりと話を聞くことなの
だと感じていました。もどかしい気持ちで東京に帰って来ると、
今度は東京や西日本の「何かしたい!」という圧倒的なエネルギーに迎えられました。
被災地を真剣に想う人もまた、たくさんいる。この両者の気持ちを繋げなくては。」

 紙を前にして、どうあらわしてよいか筆が止まり迷う。けど、ふりしぼった言葉を届けてもらうことにします。

 

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