広告大学
先日、全広連夏期広告大学に行ってきました。(2011.7.15)
統一テーマは「広告新時代~“デジタル”と“マス”の融合~」ー最新事例紹介と研究ー
広告というか、世の中の外角低めに位置するスナリは、時々こういうメインストリームを見聞きする事で、自分の感覚と世の中の乖離がいかほどか計るようにしています。
講師は3名、どなたも博報堂の方々でした。
第1講「人が動く、マーケティングの基本姿勢」久地楽雅也氏(所属肩書略)
消費者ではなく、生活者=まるごとの人間なんですよ、
「マーケティングの狙いはセリングを不要にすることだ byドラッガー」
つまり、生活者のほうから欲してもらうにはどうしたらいいか、
生活者にとって、「他人ごと」ではなく「自分ごと」を生み出すこと
「自分ごと」=エンゲージメント
自分ごととして参加してもらう余地をつくる
贈与と共有である。
というお話でした。はしょりすぎだけど。
とてもわかりやすく、んだんだと頷きながらメモをとり聞きました。
「余地」
すごく大事だと思う。余地。
すきま、空間、空き地、広場、からっぽ。
第2講「メディア戦略からクロスメディアを考える」
本日の具体的な内容をSNSやツイッターやブログに書くのはご遠慮くださいということだったので書かない。
というかあんまり覚えていない。すいません。
視聴率は下がっていてテレビはだめだとか言われるが、録画して見てるからまだまだ大丈夫という話しだったような違うような。
第3講「ソーシャルメディアと使ってもらえる広告」~広告から、広場へ~ 須田和博氏(所属肩書略)
以下、メモからランダムに抜き書き。
紙~CM~WEBと、扱う媒体が変わっても企画をするということ自体はかわらない。
メディアは進化するけど人間は進化しない。
広告は終わらない、しかし、変わる。
フェイスブックって何だ?と思ってたとき、ある人が「新しい電話みたいなものよ、連絡しやすいの」と。
イノベーションってのはすぐ“当たり前”になるんだな。
人はあたらし物好きでナマケモノ。
ファイブミニの広告表現で登場した「体内怪獣」をWEBに展開→あなたはどの体内怪獣?チェック
その体内怪獣の着ぐるみを毎日街角やオフィスで写真とってミクシィでストーリー化した。「美女VS怪獣」(ここで“自分ごと化”)
ミクシィの「中の人」をやってみて、ユーザーが反応し始めたその「反応」をよく読んで次の施策をした。
ユーザーをよく読む。
最終回、ユーザーから「ありがとう」「おつかれさま」 こんなにユーザーと関係できたことはない な、と思っていた頃、「エンゲージメント」という概念を知る。ああ、これか、と。
メディアが断片化しはじめてる。
ツイッター以前/以後でがらりと変わった。
(マス媒体に)出稿もするけど、ユーザーに書いてもらわないと届かないんだな
発信力ではなく、「被リンク力」が大事なんだな、と。
それは「ツッコまれクリエイティブ」
・コンテンツ消費からコンテクスト(文脈)消費へ
・投下型広告から伝播型広告へ
ex.「ドアラの九州旅日記」
(ドアラのファンが絶対がっかりしない、ドアラ最高!と言わせないといけない)
「一本満足バー」
(おかしなつっこみどころ満載のCMを短期集中投下、ユーチューブにアップし削除申請せず→二次創作(一般市民が勝手にリミックス)がアクセスを集める→広告メッセージが残る)
サラリーマン川柳をはじめとして、簡単なルールがあればそれにのっとって上手に参加して作る。
日本は“草の根クリエイティビティ”が高い国だ。
ぽぽぽぽーん「共通のネタ」に一斉にツッコミはじめた草の根の庶民のクリエイティビティを見てこの国は大丈夫だと思えた。
簡単なルールを作って参加してもらう「ルールクリエイティブ」これが企画の仕事。
視聴より参加→「使ってもらえる広告」
ex.「マイミク年賀状」
素晴らしいでしょ、という訴求より、使ってもらえるにはという気遣い=デザインテンプレートのバリエーションを増やす。
広告会社は枠を売らずに仕組みを売った。
ex.「ドミノピザ」・・GPSで花見会場にピザ届けてもらえるアプリ=使ってもらえる広告
使ってもらえる広告=ビール会社名入れ栓抜き・・・昔からあったじゃん。
つまり
「未来はルーツにある」
人気アプリの「美人時計」「美女暦」=毎日見る物と毎日見たいものを一緒にする・・・昔からあった。
みんなが見たがるものの中にもぐりこんで広告をする。
新聞にもぐりこんだ新聞広告は、読み応えのある文章で広告した。
テレビにもぐりこんだ広告は、楽しさとかエンターテイメントで広告した。
広告はいつもメディアの「似姿」で存在する。
じゃあネットは?
検索したり調べたり、「使う」よな、
だから、そこに「似姿」としてある広告は「使ってもらえる広告」であるべき。
細田守氏は「サマーウォーズ」で「家族愛という古くさいものをどう新しく見せるか」
小津安二郎は「新しい映画とは、いつまでも古くならない映画だ」
未来はルーツにある。
新しい普遍をつくる。
広告から広場へ。
一方的に告げるのではなく、ユーザーが告げ合う場をつくる。それが広告の未来ではないか。
評判になるものはいつもなる。
やりくちは新しくても、普遍で太いネタをつくるのが企画の仕事。
というお話でした。
最後に来場者が
「そのアイデアの源となるのはなんですか」的な質問をされた。
とにかく、面白いと思ったら、どうしてそれが面白いかを考える事。ツイッターやブログでその面白いと思った事を要約して書くのは、自分の考えの整理になるし、財産になる、と。
氏はインタラクリというブログを日々更新されている。
そのブログの最近の記述にこうあった。
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常に「からっぽ」でありつづけること。
思考に集中するために、「からっぽ」を確保しつづけること。
それは、大事な習慣である。
メーラー、紙ストッカーは、「からっぽ」に。
メモ帳は、リアルタイムに、すべてのヒントと着想をメモし、
ブログは、定期的に、最新の気づきを成文化してタイプUPする。
こうして、いつも、最小限に身軽で、よく動きまわり、すぐ仕事すること。
そうありたい。
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だから、これだけぜんぶ吐き出すように話して伝える事ができるんだなと。
からっぽであることに貪欲でありたい。
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