I♥エンスー Vol.23 肉体を手放す車
中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。
【2008.12.22 掲載】
I♥エンスー Vol.23 肉体を手放す車
以前、車検かなんかの代車でとあるハイブリッドカーに乗ったことがある。
ブレーキを踏むと、おお、電気をつくってる。
その様子がモニターに表示されとてもおもしろい。
いやー、未来のクルマだね。と思った反面、なにか物足らない。
高級スポーツカーからハイブリッドカーに乗り換えた人も
「あれはエコだけど車じゃない」。とつぶやいていた。
と、そのハナシを兄A氏にしたところ、深く頷きこう語った。
今、ルマンで一番速いのは、なんとディーゼルカーなんだそうだ。
モータースポーツ界においても「速くてエコロジー」がトレンドとなりつつあるのか。
ディーゼルエンジンというのは回転数が上げられない。
普通のエンジンの1/3くらいの回転数らしい。
だから高効率=「エコ」であるし、したがって排気音が小さい。
「サーキットでもその車だけものすごく静か。
まー盛り下がる盛り下がる(笑)」。
あー、車好きな人はあのエギゾーストノートが好きなんだよね。
カーーーーーーーーンってやってくると、血湧き肉踊る感じするもんね。
「スポーツカーに乗ってる人はトンネルが好きなんだよ。
トンネルで窓開けて、カーーーーーンっていう自分の排気音の反響を楽しむの」。
ははー。
「フェ●ーリ買ってはりきりすぎて免停、っていう人が
自宅の車庫でカーーーーーーンってやってガソリンタンク空にしたっていうからね」。
立派なアホである。
技術の進歩はどんどんよくしてくれる。
便利になるし、快適だし、美しいし、環境に配慮するし、
すべてよい未来にむけて知恵がしぼられる。
だから、「昔はよかった」というのはたいがい幻想で、
今の方がだんぜんいいはずなのだ。
車はもともと、身体を手放すための手段として生まれた。
歩くより走るより速く進める。楽に移動できる。
それがどんどん進化して、シフトチェンジもしなくてよくて
危険な動作も制御できて、高速移動にも快適な足回りやシートになって
「ジャンボジェット」のような車になった。
もしかしたらもうすぐ、音もにおいもせず、念じればその通り動き出す車ができるんじゃないかと思うくらいだ。
車の進化の歴史とともに、人の暮らしからも身体が薄れていった。
なにもかも、ボタンひとつでことが済み、体を動かす必要がない。
なにかを考えるのも、パソコンかケータイのモニターの中である。
もはや、身体はいりませんね。
しかし快楽は身体を通じてやってくるものだ。
車をドライブする快楽は、車まかせにせず、自分自身の身体機能をフルに使うことにあるのではなかったか。
瞬時の判断を微妙なコントロールに変えて車に伝え、その反応を全身で感じることが歓びなんじゃないのか。
「血湧き肉踊る」ことが、生きてるってことなんじゃないのか。
そろそろ、身体を取り戻そうぜ。人も、車も。
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