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2011年8月 6日 (土)

I♥エンスー Vol.24 いつのまにか家族

中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。

Ensu

【2009.1.9 掲載】

 I♥エンスー Vol.24 いつのまにか家族

 先日、お正月の休みを利用して山陰の温泉につかってきました。

 行くかどうかぎりぎりまで迷って、行き先もいろいろ検討した。
 我が家の旅の目的の中心は「温泉」であり、したがって宿選びは命がけだ。
 そういう旅をほぼ十数年してきて、目指す温泉も源泉掛け流し、加水加温もちょっといかがなものかという贅沢なものになってきた。
 かといって宿泊費がかさむかというとそうでもなく、かえって温泉プロデューサーの言いなりにハリボテ的につくられた宿などには興味もわかず、一泊二食付き8,000円代でもなかなかに味わい深い名宿がある。

 今回休みは短く、一泊二日のショートトリップである。
 長い休みなら迷わず九州方面に向かう。
 昨年の夏には1週間かけて阿蘇や久住あたりの秘湯名湯を巡り走る贅沢もした。
 しかし、一泊。
 四国に渡ったり、関西方面に足を伸ばすなら、どうせなら二泊はしたい。
 ということは、一泊でも十分遊ぶ余白がある距離、山陰を目指すか。

 しかしこの時期気になるのは道路状況である。
 我が家の愛車、「はなみ号」(と呼ばれている。がしかし息子曰く男の子なんだそうだ)はノーマルタイヤである。
 チェーンを携行したとしても雪道凍結道は避けたい。

 便利な世の中で、中国地方の各地にライブカメラが設置されており、リアルタイムで路面状況を知ることができる。
 さっそくチェックすると、路肩にこんもり積もった雪が見えるではないか。

・・こりゃ車は無理かな。
・・じゃあ、バスで山陰まで抜ける?
・・うーん・・・

 息子が生まれるまで、我が家には車がなかった。
 夫婦二人の旅行は気ままだった。荷物もそれぞれ少なく身軽で、電車やバスを乗り継いでどこまでも行った。多少の不便さえ楽しかった。

 しかし子どもが生まれて、事態は大きく変わる。
 なんといっても、荷物の量が莫大増えたのである。

 一日に何度も着替える乳幼児の衣服は小さくても枚数が多くてかさばる。
 おむつ、おっぱい関連備品、薬などケア用品、母子手帳、玩具、
 もしかしたらこれもいるかも、これがあると便利かも、というものを詰めているととてもこれを担いで旅する気になれないほどの重量になった。

・・車で行きますか。

 車だと荷物の重さを気にせずなんでもぽんぽん積んでおける。
 休憩も出発も時間を気にせず自由だ。
 おむつ替えも授乳も気兼ねせず車内でできる。
 こりゃあいい!
 それから「車の旅」の楽しさに味をしめたのだった。

 出発進行〜!
 はなみ号はわたしたち家族を乗せていろんなところへ連れて行ってくれた。

 退屈なはずの道中も、みんなでしりとりしたり、歌ったり、おやつたべたり、車内がみっちり家族で、それが嬉しく心強く楽しかった。
 地図を見ながら見知らぬ土地を行き、日が暮れて迷って不安になったり、
 阿蘇の中腹で想像を絶する土砂降りに見舞われたり、
 そんな時も「うわ〜〜〜」「はなみ号がんばれ〜〜〜」なんて言いながら前に進んだ。

 だから、今回も
・・はなみ号置いて行くなんて、ちょっとさみしいね。
・・じゃあ、やっぱりはなみ号で行こうか。

 ああ、はなみ号はただの車じゃなくて、もはや家族の一人になっていたんだなあと気づいた瞬間だった。

 そして結局、浜田自動車道から江津に抜け、国道9号線を走って出雲に向かった。
 寒気がゆるんで路面状況も大丈夫、楽しい旅となった。

 旅から戻り、凍結防止剤で真っ白になったはなみ号を洗車してあげた。

 あと何年一緒に走れるかな。
 10年、は無理かもな。
 それを思うとさみしいな。
 でもそれは、車も、人も、同じことだ。

 いつか来るお別れのその日まで、精一杯いっしょに走ろう。

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