I♥エンスー Vol.38 威嚇社会
中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。
【2009.7.23 掲載】
I♥エンスー Vol.38 威嚇社会
先日実家に遊びにいくと、ガレージの車の下から人の足が出ていた。
通常驚く場面だが、いたって普通にこんちわーと足に向かって声をかける。
「どもー」と声を返したのは兄A氏で、今日はオイル交換をしているのだという。
オイル交換ってどのくらいでしてるの?
「うーんまあ4ヶ月に1回かな、普通の乗り方してないからね」
ジムカーナという過酷なドライビングに耐える車ゆえ、血液サラサラじゃないとね。
「ちなみにこれは5W-40(笑)」(←I♥エンスー Vol.36 ツーな車検 参照)
などと立ち話をしていると、ふと真剣な表情で
「オーバーテイキング プレステージャス、って知ってる?」
む、横文字?
“追い越しの威信”←直訳。なんじゃそら??
「つまり、“追い越し優位性”ってことになるんだと思うんだけど。
あのね、ベ(高級輸入車)に初めて乗った人が感動することが、
『なんて走りやすい車なんだ』ってことなのね。前の車がみんなよけていく。他の車が前に割り込んでこない。すいすい走れる」
ああ、分かる。
昔仕事でとある高級輸入車のハイクラスセダンをディーラーから借りて撮影現場まで運転したことがあったのだが、そのとき、高速道路の追い越し車線を走ってびっくりした。
前をゆく車が、つぎつぎと左へ左へ流れるように車線変更してゆくのだ。
さながらモーゼの十戒のようであった。
ひゃー、さすが高級車は違うわと思ったのだった。
たしかにそういうとんでもない高級車に乗ってる人は、もしかしたらややこしい人かもしれないから、無難によけるし割り込まないよねぇ。
「うん、それはブランドの成せる技だったり、中に乗ってる人を想像するからってこともあると思う。でも、こんなインタビュー記事を読んだんだ」
とある欧州の車メーカーのデザイナーの話である。
その車は歴史も古く、長い間培った技術力で素晴らしい車をつくっていた。
デザインはモダンで静かでとても知的だった。
顧客もその魅力を理解する人々だった。
しかし一方で「あれは公務員が乗る車だ」と陰口をたたかれもした。
堅くて、面白みがないと。
その当時、市場には最高級の座を争ういくつかのブランドがあった。
技術力では引けを取らないのに、そういうハイクラスの顧客層に訴求できない。
ぐっとアピールするパンチが足らないように思えた。
「そこでそのデザイナーは『オーバーテイキング プレステージャスを与えることにした』と言ったんだ」
それまでのシンプルで素朴なフロントの表情を一変させた。
ライトをぐっと切れ長にして、グリルを下部一杯まで広げた。すべてのパーツを大きくして、ぐっとにらみを効かせたデカいツラにしたのだった。
大きな顔をしたものは、大きな身体を連想させる。
バックミラーにその顔が迫ってくると、恐ろしく大きなものが襲いかかってくるような錯覚にとらわれる。
《こわい!》
無意識によける。
それがオーバーテイキング プレステージャスだ。
でかい怖い顔にしたとたん大ヒット。トップクラスのブランドと渡り合える車メーカーになったという。
「そのオーバーテイキング プレステージャスは大昔から超高級車には確信犯的に与えられていたけど、他のメーカーではそんなに高級ではない車にも与えはじめていたんだ。なんでこんな小さな車にでかいライト?でかいラジエターグリル?
目は吊り上がり、口も大きく裂けて牙をむいたようなその顔は、まるで悪魔に魂を売ったみたいだった」
そのライトやラジエターグリルのでかさに、必然性はない。
今やライトの電球もものすごい性能がアップしていて、ちっちゃくてもよく光る。
だからライトの面積は少なくてもいいはずなのに、新型車ほどライトの面積はでかくなっている。
それはつまり、「威嚇」のためのデザインだ。
路上では瞬時の判断の連続だ。
車線変更も、車線への合流も、一瞬の判断でハンドルを切る。
どこの車の間に入る?
でかいややこしげな車の前に入るよりも、ちっちゃな車の前の方が入りやすいと本能的に判断する。
動物のあかちゃんはみな可愛い。まるっこくてちっちゃくて、愛くるしく守るべき存在だと感じさせる。
と、同時に、真っ先に獲物になる弱い存在でもある。
小さい車は弱い。だから狙う。
ひどい話である。
道徳的観点では許される話ではない。でも反応するのは本能だ。
世界中の車メーカーはこぞってその「オーバーテイキング プレステージャス」を車に与え、人々はその車を喜んで買った。今や量販車ですら猛禽類のような顔をしたものが増えた。
そうして世界中の車の顔が恐ろしくなった。
他を威嚇し、圧倒し、屈服させたい、本能が選ぶ車たち。
今、路上では絶対に譲らない殺伐とした小競り合いが頻発している。
「ちからには、いいフォースと悪いフォースがあると思うんだ。
デザインにも、人の心を善くするような美しいデザインもあれば、圧倒的な力を表現してダークサイドをくすぐるデザインもある。
車をつくるひとたちは、こういう力を利用してはいけないんじゃないかと思うんだ。
もっと美しくて、思いやりを生むような、愛されるデザインであるべきじゃないのかと、このごろ考えてしまうんだ」
まったくその通りだ。
目先の売ることだけじゃなくて、世界が幸せになることを想像してデザインしてほしい。デザインの力はそのくらい大きいと思うから。
さて余談ですがそんな話をしていて、戦国武将の鎧兜を思い出した。
あれが大将だ、おっかねぇ、強そうだ、歯が立たねぇ、遠くからでもすぐわかりそう思わせるために、前立てに恐ろしげな角やら三日月やら愛って字やらをでかでかと頭に乗せたのだ。
今や馬に乗る人もそうじゃない人も、みんな頭に恐ろしげなものをがちゃがちゃのっけて「われこそは〜われこそは〜」と主張する。
一億総大将願望時代。
鎧兜を脱いだらふんどし一丁、みんなおんなじなのにね。
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