I♥エンスー Vol.40 有名人に会いたいか
中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。
【2009.2.23 掲載】
I♥エンスー Vol.40 有名人に会いたいか
近頃有名人に会う機会が多い。
街ですれ違うくらいなら「今日○○見たよ!」なんてきゃあきゃあ騒いでおしまいだが、対面すると微妙につらいものがある。
その人のことはテレビでよく見聞きするし知ってるつもりになっている。一方相手はわたしのことを知らない。当たり前だけど。接点はなにもない。つまりなんにも話すことがないのだ。
興味がないわけではないから、適当に質問はできる。相手もそういうのには慣れているからサービストークをしてくれる。こちらが聞きたいであろうことを上手に話してくれる。でもそれは誰にしゃべってもいい差し障りのないことで、けっして本心とか核心ではない。
そんな会話のなんと不毛なことか。むなしすぎる・・・。
これが仕事だとまた違う。何か目的があって、その人に聞きたいことを聞き出すにはどうインタビューすればよいかと考えながら対面する分には覚悟が決まる。
しかし最近インタビューしてしみじみ思ったことがある。
あるパティシエが、他の製菓職人に技術指導をしながらお菓子を創り上げる様子を取材したときのこと。溶かしたバター、砂糖、生クリーム、チョコレート、そこに泡立てたメレンゲを加えて混ぜたときだ。
「・・・・まだ」「はい」「・・・・・・はい。いいよ」「はい」 そこで混ぜ終えた。
傍目にはその違いがわからない。
あのー、今なんでまだって思われたんですか?
「なんでって・・・まだだと思ったから」
それがまだだって、どうして思ったんですか?
「うーん、見た感じと・・・感覚?」
その職人さんに、それってわかりましたかと聞くと分かったという。
わたしには分からなかった。
分かるためにはたぶん、製菓学校のテキストに載ってるくらいのことは常識として知っていなくてはいけないし、実際に作ってみなくてはいけないし、もしかしたら何年も作り続けなくては分からないのだと思った。今のわたしにこの感覚はわかりっこない。そんなわたしにパティシエは説明する言葉をもたない。当然だと思った。
本当に分かるってなんと難しいことか。
今までのわたしは簡単に、分かったような錯覚をしていたのではないか。
そう考えると腹の底が寒いような感じがした。
で、有名人に果たして会いたいのか、と考えたのだ。
そりゃもちろんわたしだって熱烈に好きな有名人はいる。もし会えたらと考えただけで卒倒しそうだ。しかしたぶん会ったところで話にならないし、彼が言いたいことはその作品で語り尽くしているわけだから歌を聴いてくれそれがすべてだと言うに違いない。だから会ってもなにも話せない。話す資格がない。同じ土俵に立っていないのだから。
盆に会った時兄A氏にも聞いてみた。
あのさ、会えるかどうかはさておき車界の有名人で会ってみたい人っている?と。
ほら、○○さんとか△△さんとかさー、とわたしでも知っている人の名前を挙げると、別に・・・という反応。
うーんとしばらく考えて、
「ポール・フレールには会ってみたいかなぁ。もう死んじゃったから会えないけど」。
ポール・フレール氏とは、ル・マン24時間レースで優勝し、F1でも好成績をあげた偉大なドライバーで、モータージャーナリストの草分け的存在の人。“世界でもっとも尊敬され、信頼されている自動車ジャーナリスト”(ポール・フレールの「Me and Honda」から)と賞賛された氏は、2008年2月、91歳でこの世を去られた。
なんと亡くなる前の年までサーキットでテストランにバリバリで臨んでいたという。すごいおじいちゃんだ。
兄A氏は、ポール・フレール氏と会ったことがあるというエンジニアに話を聞いたのだそうだ。
ある車のテストに著名なモータージャーナリストが来るという。現場の対応は冷ややかで、どうせエラい人がエラい人を連れてくるんだろうくらいに思っていたらしい。そもそも現場は「モータージャーナリスト」という存在にすっきりしないものを感じている。みんながみんなそうではないが、よく分かりもしないのに知った風な記事を書き、しかもその的を射ていない記事が少なからず売れ行きを左右するのだ。膨大な時間を開発につぎ込み心血注いでいるエンジニアにしてみればまったく面白くない話だ。
そしてそこに現れたのは失礼ながらよぼよぼしたおじいちゃん。はいはいとセッティングして車を渡すと、そのおじいちゃんはハンドルを握ったとたん別人のように恐るべきスピードでテストランし始めた。
テストコースを何度か流し、戻ってきた氏は開発者に言った。
いい車だけれども・・・●●が気になる。もう少しそこの部分をこうしてみたら、と。
開発者は度肝を抜かれた。その●●は実は悩んで心に引っかかっていた部分だったからだ。
しかしおそらく乗る人は誰も気づかないだろうと見ぬふりしていたそこを、氏はズバッと突いて指摘してきたのだ。
その場に居合わせたエンジニアたちはみな一瞬にして氏に惚れた。
ヘルメットにしてもらったサインを、「これ、宝物」とうれしそうに見せてくれたという。
分かり、分かり合う・・・本当にうらやましいような会話だと思う。
で、ポール・フレールに会ったらなんの話をしたいの?
「うーん、話すというより、運転する彼の横に乗ってみたい。
あの人は車と会話するんだよ。それを横で聞いてみたい」
氏はとにかく速くて速くて速い。ある人が彼の車に同乗していて何気なく、ここから自宅まで君、運転しないかと交代したのだという。負けん気で必死に運転し到着したら氏はさりげなくタイムを計っており、「まあまあのタイムだ」と言われた、とか。
70歳80歳になっても彼のドライビングのアグレッシブさは影を潜めない。どんなに深いワインディングでも踏んで踏んでギリギリのところでブレーキング、しかし綺麗に制動して抜けていくのだ、とか。逸話は星の数ほどあるようだ。
運転する氏の横に同乗することは、100の言葉を交わすより雄弁にドライビングについて語り教えてくれるに違いない。それが分かるスキルを身につけている者にならば。
おそらく、超一流のドライビングテクニックを体得している人はたくさんいると思う。
その感覚はドライブする本人だけが分かればよいわけで、ドライバーという職業ならば速く走ることさえできればよいのだろう。
しかし、ポール・フレール氏は、その感覚を言葉にして他の誰かに伝える必要を感じたのだ。最初から上手に伝えることができたのかどうかは分からないけど、伝え続けた。それはもっといい車をこの世に創り出したいという想いからではないか。いろんなメーカーのエンジニアたちとおおいに対話し、分かり合い、話し続けたのではないか。
しかしそれに加えて、もっとみんなにドライブする楽しさ歓びを伝えたいという思いがあったからこそ、同じ土俵に立つある程度のスキルがある人にだけ理解できるのではなく、自動車雑誌を読むあらゆるファンに分かり、感動させる言葉にして伝えることができたのではないか。
そうなるともう、技術や知識の先にどれだけ愛があるかという世界だ。
パティシエにも、茶師にも、エンジニアにも、歌うたいにも、科学者にも、それぞれ違うプロの技術や知識という深い深い森がある。その森を知るだけで凄い。その職能を全うするにはそれだけで十分だ。
しかし、それぞれの森の上空には案外おんなじ空が広がっているんではないかと思うのだ。
そしてその空を見ることができる人たちは、どの森も空も人の心も、もう、自由に行き来できるのではないか。
そしてだれもが理解できるような言葉でその空の青さを語るのだ。
ポール・フレール氏が話していた空を、車を愛するあらゆる人々が憧れて見上げている。
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