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2011年8月25日 (木)

I♥エンスー Vol.43  チェンジの痛みとチェンジしない痛み

中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。

Ensu

(2009.10.5 掲載)

※これ、2年前に書いてるんですけどね、今読むとしみじみ・・・
 チェンジしない痛みを、日本に住むもの言わぬ人々がひっかぶったんですもんね・・・


 I♥エンスー Vol.43  チェンジの痛みとチェンジしない痛み

 さて10月。ここのところ世界にはチェンジの嵐が吹き荒れている。
 そもそもわたし自身がチェンジモードに突進している。
 ことの起こりは遅い夏休みをもらって九州旅行にでかける前に行った茶の湯の稽古場でのこと。折々の歳時を感じさせる床の軸、その時は

 「放下著」ほうげじゃく

という書であった。
 先生これどういう意味ですか?
 これは、全部捨ててしまえ、という意味です。
 なんとロックンロールな。
 見栄、執着、欲望、そんなくだらないものはみな捨ててしまえと。
 それは衝撃だった。
 ああそうだ。捨てなくちゃ。
 わたしは余計なものでがんじがらめになっている。
 霧島や阿蘇や久住や、綺麗な水が湧くところでどんどん水を飲み、大地から湧く湯につかって、身体の中の悪いものを全部捨ててきた。
 帰宅してからは、引っ越して10年、錆のようにたまった不要なものを片っ端から捨てていった。こんなにゴミと一緒に暮らしていたのかと思うほどで、年末まで捨て続けることになりそうだ。

 テレビをつければ政権交代、つくりかけたダムをどうするかでもめている。

 わたしが仕事で通っている組織にも人事異動があり、メンバーの入れ替えがあった。
 それと同時に、かつて6年間続いてきた戦略の大幅な見直しの声が上がりつつある。
 6年前、あれだけのお金と労力と時間をかけて築き、今まで守り続けていたものが、ここにきて変わろうとしている。口にはしないがスタッフたちの表情は暗い。

 長い時間かけて考え、納得し、それがいいことで正しいことだと信じてやってきたのに、今日からは違います、それはムダなことですやめましょうと言われたら。
 今までのわたしたちのあの時間はなんだったのか。やり場のない徒労感。

 ああ分かる。その信念に沿って苦楽をともにしてきたスタッフの気持ちを考えると、気軽にチェンジと叫ぶ人がうらめしくもなる。

 しかし、だ。
 ほんとに今まで信じてきたことが正しかったのか?
 その時は正しかったかもしれないが今どうなの?
 長い時間を経て気がついたことや変化したことがあって、精査してみたら、やっぱりちょっと違うんじゃないかと分かったのではないか。
 だったら、いいことに向かって変わるのはいいことなんじゃないか。
 今、と、これからしかないのだから。

 過去のあらゆることはもう過去でしかなくて、ここにはないのだ。
 なのに、未練や執着や、いろんな思いが足をひきずる。

 兄A氏が
 「ちょっと見せたいものがあるんだ」といって見せてくれたのが
「IIHS (Insurance Institute For Highway Safety)」のホームページ 。
アメリカの道路安全保険協会のコンパティビリティ・テストの映像(2009年4月UP)であった。
 コンパティビリティとは、共生とか両立性という意味で、つまり、大きい車と小さい車がぶつかったとしても、衝撃をたがいに吸収し合い、傷害値が平等になるようにするということだ。つまり、小さい車はより頑丈に、大きい車は加害性を低くするという思想。
 今や国内外どのメーカーも重視する考え方だ。

 しかし、だ。そこで見た衝突テストの映像はまさに衝撃だった。
 同じメーカーの大きい車と小さい車を、正面から半身同士衝突させたその結果、小さい車のフレームはねじまがり、ドライバーの生存空間は確保されなかった。ぞぞー。

 そのぐちゃぐちゃになった小さい車はしかし、単独の衝突テストではよい結果を出しているのだ。なのになぜ?

 「今や技術はどんどん革新し、安全性も高まっているはずだよね。
 小さい車はエコで燃費もいいし、取り回しもラクだから人気だし売れてる。
 個々の衝突安全性も星がいっぱい並んで優秀。のはずだった。
 でもこのクラッシュテストを見ると、コンパティビリティ大事なんじゃなかったんですか?と聞きたくなるよね」

 テストの仕方でこういうことになるって、知ってたんですよね?
 なのにどうして誰も教えてくれないの?
 それは誰に尋ねたらいいのだろう。

 こういう結果がでた今、かつて安全だと思われていたがそうではないことが分かった。
 だったら、いい方向に向かって改善するためにはどうするのか。
 小さい車をもっと丈夫にしたり、技術者はもう取り組みはじめているのだろう。
 技術と消費を取り結ぶ間にいる人々は。
 チェンジの痛みを受け入れようとはしていないように思える。
 受け取り拒否された痛みは。
 小さい車に乗るわたしがかぶるんですか?

 仕事で宮島のとある旅館のホームページを拝見した。
 館内の様子やもてなしの心を紹介する中に、「お読みください」と書かれたページがあった。
 「当館をご利用頂くにあたり、予めご了解いただきたい点がいくつかございます。
せっかくお見えになって頂いたのにがっかりされて帰られては申し訳なく思い、不都合な部分も知って頂いたうえでご利用頂ければ幸いです。ぜひお読み下さい」とあり、
温泉ではないこと、客室からの眺めがよくないこと、野生の鹿がいること、バリアフリーではないことなど、たしかに不都合なことがあからさまに書かれていた。
 お客がのどから手が出るほど欲しい旅館業界にあっては異例すぎる正直さだ。
 しかしその上でできることは心をこめていたしますとあった。

 とある旅行情報サイトでのその旅館の評価は意外なほど高かった。
 窓からの眺望を補ってあまりある、心配りのもてなしにお客は満足していた。

 これがほんとうだと思う。
 隠していいことばっかし言ったって結局バレるのだから。
 よいこと、わるいこと、何にだって両方ある。
 両方知ったその上で最良の次を選んでいくこと。
 今一番必要な考え方なんじゃないかと思うのだ。

 余計なもの、全部捨てていけるかな。

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