I♥エンスー vol.46 日々の大前提
中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。
(2009.12.1 掲載)
※イグサさん・・・いいこと言うなあ。再読して背筋のびました。
I♥エンスー vol.46 日々の大前提
先日とあるフローリスト(お花屋さん)主催の花のイベントに参加した。
東京・代官山のフローリストを招いてのデモンストレーション&ワークショップ。わたしは司会進行というか、素人代表というか、ツッコミ役というか、非常に説明のしにくいポジションで参加したのだった(それでもお仕事)。
今をときめく代官山のフローリスト、顧客は大使館公邸から芸能人の自宅、びっくりするような大企業。さぞやキラキラしい方なのだろうと思いきや、非常にフラットな方だった。ぜんぜん気負った感じのない、普通の人だった。
しかし、イベントに先立ち下準備をしている時からわたしは「へぇー!」を連発し続けたのであった。
その日のワークショップはクリスマスを意識して、オレゴンからやってきたモミの木のリーフでセンターピース(テーブルの中央に置くアレンジ)を作ってもらうことになっていた。
お客がすぐにモミの枝をカットして挿せるように、バスケットにオアシス(吸水させて花止めに使うスポンジ材)を仕込んでセットしておく。
「土台となるここが一番大事だと思うんだよね」
手を動かしながらそのフローリストは言った。
まず、バスケットの底をならす。
「テーブルでいちいちがたがたしたらいやでしょ」
セロファンをバスケットにみしみしっと入れ込み、吸水させたオアシスを詰める。
「あ、セロファンを手でバスケットに先に入れこむよね、それはやめたほうがいい。オアシスの重みで自然に入れて。セロファンは何度もしわがよるとそこから破れて水が漏れる。余計なしわはないほうがいいでしょう?」
オアシスはぎっしりみっちり美しく詰める。
「生花のアレンジなら給水スペースがあったほうがいいけど、これはもう乾燥させてクリスマスを待つものだよね。乾くと動いちゃうから、ぎっしり詰める」
そしてバスケットとオアシスをフローラルテープで固定する。
キャンドルもホルダーを使わず、針金をつかう。U時に曲げた部分をキャンドルにテープで止め、先に“かえし”をつけてオアシスに深く差し込むのだ。
「もうこれでどんなことがあってもはずれない」
お客にはわからない、隠れちゃう部分になんでこんなに手間をかけるのか。
「だってお客さんが持って帰って少なくともクリスマスまではどんなことがあっても保たせなくちゃいけないわけでしょ。車にどかっと積んでも、テーブルから落ちても大丈夫ってくらいに作っとかないと」
デモンストレーションでは、主催の広島気鋭の花屋さんの店頭から選んだ素晴らしい花々で美しい花束を次々と束ねられた。
大きなアマリリスや真っ赤な薔薇、アーティチョークの葉やらを使ったゴージャスで大きな花束もそれはそれは見事だった。
しかしそれにも増して凄かったのは、花を使わないグリーンだけのアレンジだった。
秋をイメージして紅葉した様々な葉を使ったブーケ。その次に春をイメージしたフレッシュなハーブを使ったグリーンのミニブーケ。
葉っぱにもこんなに様々な色形香りがあるのだと驚きつつ、でき上がったブーケをまじまじと見てさらに驚く。葉の向き、重なり、色、計算し尽くされていて、まったく見飽きない。自然な草原のように見えてそこには宇宙が表現されていた。
と、率直に感想を述べると
「もう、小さなブーケほどきちんとしないと。たとえば500エンでブーケを頼まれたら、もうそれは絶対よそに負けないものを作ろうと真剣になります。
1万円2万円のブーケなら、もう花材の勢いでまとめれば成立する。しかし500エンでは成立しない。たった500エンなんか、リボンつきません、そういう考え方もあると思う。 でも僕は500エンのブーケこそ集中してつくります」と。
僕たちの仕事は今の綺麗を作ることじゃない。贈られて持って帰ったその先、より長く美しく楽しんでもらえるために担保しなきゃいけない仕事がある。水揚げのいい花はずっと綺麗に長く楽しんでもらえる。それでこそ、贈る人の言葉にならないその少し先を花に束ねることができるんだ、と。
今、セロファンのしわにまで心配りできる花屋さんがどれほど居るだろうか。
そんな土台の支度なんか超地味な作業だ。
それより華やかなデザイン、見たことのない新種の花々、それを誰よりもお洒落に素敵に束ねることにばかり気持ちは向いてるんじゃないか。
花屋さんだけではない。自分も含め、今日のこの話を聞かせてやりたい人がごまんといるなと思ったのだった。
そして、あの本の意味がわかったのだった。
かつて兄A氏に、有名人なら誰に会いたいかと聞いたことがあった。
(「I♥エンスー Vol.40 有名人に会いたいか」)参照
そのとき兄A氏は「ポール・フレールには会ってみたいかなぁ。もう死んじゃったから会えないけど」と答えた。
ポール・フレールって誰だ?
ル・マン24時間レースで優勝し、F1でも好成績をあげた偉大なドライバーで、モータージャーナリストの草分け的存在の人らしい。亡くなる前の年までサーキットでテストランにバリバリで臨んでいたという。
で、その人がどんな人か知りたくていろんな記事を読み、本を買ってみたのだった。
多数ある日本語訳の著作の中で、わたしにもわかりそうなやつ、と選んだのが
「もっと楽しいクルマの運転 はしる まがる とまる ポール・フレール著」(二玄社)。
それは車の初心者向けに書かれた本で、まずは運転席に座る姿勢から始まる。
ハンドルの握り方、ミラーの調整の仕方、高速道路での合流の仕方、ドライブにおけるポイント、制動のしかた、メンテナンスの仕方・・・・
あたりまえすぎることがあたりまえに書かれてる。あまりに平易に書かれていて、拍子抜けしてしまった。ふーむ。そんなの知ってるんだけど・・・
しかしフローリストのデモンストレーションを見て思ったのだ。
初心忘るべからずとか、基本が大事とか、段取り8割とか、頭では分かっていたがそれを実践できていたかな。
毎日毎日の中で、誰も褒めないあたりまえ以下のことをそれでも絶対に手を抜かずにやり続けることができていたかな。
同じことを、PF先生(ポール・フレールのことをエンスーはこう呼ぶ)もこうして静かに語っていたのだった。
速いですか?凄いですか?
ではきちんとハンドルを握り、伝わってくる路面状況を感じ取り、デリケートな運転をしていますか?遠心力の物理を知っていますか?ハガキ4枚分の接地面の摩擦係数に思いを馳せていますか?
もっともっと、上を目指したい欲望はいいことだ。それが人を成長させる力だと思う。
しかし、はしょってしまったり、忘れてしまったり、ないがしろにしてしまったものに知らず知らず足をすくわれてしまっているとしたら。
ものすごい極意というのは、おどろくほど簡単な言葉で示される。
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