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2011年9月 1日 (木)

I♥エンスー vol.50 たとえば林檎、たとえば車

中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。

Ensu

(2010.3.9 掲載)


 I♥エンスー vol.50 たとえば林檎、たとえば車

 先日、知人からチケットをいただいた。「経営大学」という勉強会らしい。ということは経営者の皆さんが多数来られるのだろう。こんなわたしが行ってよいものか?まあ立派な個人事業主(社長兼平社員)であるので参加した。
 その第一講演は「『奇跡のリンゴ』を生んだ自然栽培農法」木村興農社代表 木村秋則(きむら あきのり)氏による講演だった。

 ああ、あのムツゴロウさんに面影の似たおじいちゃんだ(失礼)、NHK「プロフェッショナル」にも出てたな、くらいの認識で開演を待った。

 しかし登壇されたのは、若くて敏腕コンサルという雰囲気の男性だった。
 あれ?
 木村さんは諸事情により今日は来場できなくなりました、という。ざわめく会場。
 「まずはこちらをご覧ください」と、ビデオ上映が始まる。

 NHK「ようこそ先輩」という番組で、木村さんの出身校の高校生たちに体験授業をするというドキュメンタリーだった。
 その商業高校の学生たち、木村さんに「夢はなんですか」と聞かれても、ぼんやりとしか思い浮かばないし、それが叶う可能性も半分以下だと思っていた。
 そして夏、木村さんの林檎畑の手伝いをする。
 殺菌作用のある酢を散布したり、草を抜いたり、林檎にかけてある袋を外したり・・・めんどくさそうな顔が、回を重ねるうちに楽しそうになってくる。
 いよいよ収穫というとき、木村さんは改めて、来週君たちの夢をもう一度聞かせてください、という宿題を出す。

 そして、にこにことした笑顔に影を落としながら、話しはじめたこと。

 今から13年ほど前から、無農薬の自然栽培で林檎をつくろうとしたが、最初はひとつも実らなかった。何年も何年もダメで、周りの畑が収穫期を迎えても、自分の畑ははげ坊主だった。まわりからは「かまど消し」と言われ家族も村八分の憂き目にあった。
 自分はいいけど、家族をこれ以上苦しめることはできない。
 もう死のうと考えて、縄を持って岩木山に入っていった。
 「そこで、山の木を見て、なんて美しいんだろうと思ったんです、どうして自分の畑の木と違うのかと。よし、山と同じようにやってみよう、そう思ったんです。」

 人のいい林檎農家のおじいちゃんとしか思っていなかった高校生たちも、そのビデオを見ていたわたしたちも、シーンとして話に聞き入った。

 「自分を信じて、あきらめなければ、夢は叶うんです。だから、君たちの夢を、もう一度聞かせてほしい。」
 一週間後、収穫した林檎を前に、高校生たちは皆堂々と自分の夢の作文を読み上げた。

 ビデオが終わり、会場が明るくなった。
 前に座る人たちは一様にハンカチを忙しく動かしている。わたしも涙が止まらなかった。

 壇上の若手コンサル氏が話を続けた。
「今日は、木村が普段、講演で話さないことをお話しします。」

 自殺を思いとどまり、畑を自然の山に近づける研究を続け、やっと林檎が実るようになった。農薬を使わない自然栽培の良さを伝えたくて、各地に無農薬を説いて廻りはじめてから、ものすごいバッシングを受けた。あらゆる既存の農業団体に非難され、黒いサングラスをかけた農薬メーカーの男性が、あなた、家族に気をつけた方がいいと脅迫もしたそうだ。
 しかし、テレビに取り上げられ、本が出版され、徐々に反響が広がっていった。昨年9月にはお忍びで農林水産大臣が畑を視察に来て「省のスタッフがみんなあなたの本を読んでいる、これからの農業はこうでないといけないと言っている。」と。
 12月には内閣府広報から取材を受け、今や連日講演や取材に忙しい日々だという。

 「木村が何を見ていたか。目には見えないものを見ていたんだと思います。
  あるいは、見ているけれども見えていないもの。
  常識の中にも非常識があり、非常識の中にほんとうの常識があるのだと。」

 それから、木村さんが育てている林檎の樹の生命力、それを支えている土の話、日本は実は世界で農薬使用量が1位であること、北海道のC02排出量が多いのは農作物に施すチッソ肥料の40%が気化しているからだという事実。そういう初めて知ることばかり次々と話された。

 そんな話を聞いてきたんだよと兄A氏に話すと、
「福野礼一郎、彼も同じことを言っていると思う。」と言った。

「膨大な著作を持ち、影響を与えた同業者は数知れず。そして、私のクルマ人生を変えた自動車ジャーナリストの一人なんだ。」

 そして数冊の本を見せてくれた。

『極上中古車を作る方法』 あ!サイン本だ!
 中古輸入車を1台購入し、自らの手ですべての部品をバラし、いやほんとにすべてバラし、燃料タンクリッドのオープナースイッチの小さなバネまでバラして手入れし、中も外も研磨し、塗装し、ピカピカに組み上げ試乗するドキュメンタリー本。

『クルマはかくして作られるーいかにして自動車の部品は設計され生産されているのか』
 1台の車を構成する部品は約3万点もあるのだという。
 その部品メーカー各社に、2年半に渡り取材して連載したものをまとめた本。
 例えばシートに使われるレザー工場。皮をなめすとはどういうことなのか。生皮を薬品で処理する工程から皮目を吟味する裁断、「セナ足」ミシンで縫い上げられるシフトブーツ、内職のおばさんの、糸を引く加減で美しく仕上げられる革巻きステアリング・・・

 『くるまにあ2003年12月号』
 今は廃刊のカー雑誌。
 特集は「あなたの手入れ常識は30年古い。福野礼一郎 クルマにいいこと無駄なこと」。
 “板金・補修に関する最も重要なことー劣化しているのは塗装ではなく 日本人のその脳ミソの方である”“皮は「呼吸」もしていないし「栄養」も必要としていない”“日本程度の年間紫外線照射量ならクルマにはまったく悪影響はない”・・・・
 すでに7年前の雑誌である。つまり、わたしの手入れ常識は37年古かったらしい。

 福野氏はこの雑誌の特集記事の最後でこう締めくくっている。
 「掘り下げていけば、奥底でみんなつながっている」
 「モノの道理を学び、古い考えを捨て、クルマの手入れの観念を変える。これだって自分(の常識)を乗り越えるきっかけの第一歩になる。」と。

 「奇跡のリンゴ」の木村さんが、かつて某自動車メーカーから取材を受け、これからの会社のあり方について聞かれた時、傍らの林檎の枝を折りとってこう言ったという。

 「太い枝は本社だよ。この先の小さな枝や葉っぱが支社や販売店だよ。太い枝に栄養を運ぶのは誰?末端の、ささいなもの、大切にしてるの?」

 木村さんの考えをじっくりじっくりなぞって話して聞かせてくれた敏腕コンサル風の人は、木村さんの考え「自然農法」を広めるための組織・ネイチャーズ主宰 伊達 弘恭(だて ひろやす)氏だった。
 氏は話の最後に、なぜ自分はこの仕事をしているのかを話してくれた。
 いくつかの会社の経営者であったり、経営に行き詰まったり、疲れ切って心を病んでいたときに子どもを授かった。
 「死のう死のうと思っていたが、早産で保育器に入っていた双子の子どもたちは必死で生きようとしていました。
 経済を、こんなふうに駄目にしてきたのは私たちです。この子どもたちに、ちゃんとした未来を残してやらないといけない、そう思った。」

 気がついた人が、こうして語りはじめている。

 目に見えるところだけとらえて、信じ切っていないか?
 目に見えないところに大事なことが隠されているのではないかと、注意深く見ることをしているか?

 奥深くをのぞいてみれば、林檎も、車も、たしかにつながっている。

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