I♥エンスー vol.52 似合う自分
中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。
(2010.6.28 掲載)
I♥エンスー vol.52 似合う自分
先日古い友人と食事した。
お互い1児のハハになり、久しぶりに時間が合ったのだった。
待ち合わせの時間より少し早く着いて、友人が来るのを店の前で待っていた。
横断歩道が青になり、向こうから大勢の人が渡ってくる。
その中にいるんじゃないかと目を凝らしてみたがわからない。
まだかな、と思った瞬間、見つけた。
おーい!
名前を呼んだが気づかない。
こちら側に渡り切って、彼女もやっとわたしに気づいた。
ひさしぶり〜〜〜。
楽しいランチをいただいた。
いや、実は見つけた瞬間ちょっとびっくりしたのだった。
なーんか・・・すっかり丸くなっちゃって。
いや、太ったってわけじゃない。
昔はもっとこう、触るものみな傷つけそうな、ギザギザハートな感じで、着てるものもどこで買ったのかわからないような、ちょっと変わった、オシャレさんだった。
もちろん相変わらずオシャレなのだが、ギザギザ感が消えていた。
彼女の今までをいろいろ聞けば納得だった。
いろんな波に揉まれた小石のようだった。
帰りに送っていく車の中で彼女が言った。
「もうさー、何着ていいかわかんないんだよね。着たい服がわかんない。自分にどんな服が似合うかもわかんなくなっちゃって。
この前久しぶりに買いもの行ってさ、マキシスカート(丈の長—いスカート)買ったの。帰って気がついたよね、これじゃチャリ乗れんじゃんって。保育園お迎え行けんじゃんって。舞い上がっちゃって、もうだめよねー。」
大笑いしながら涙がにじんだ。
あの横断歩道で、彼女もわたしになかなか気づかなかった。
ってことは、彼女もびっくりしたんだろう。
なんか・・・すっかり変わっちゃって、とか。まあ、丸くもなってるし、実際。
自分じゃなんにも変わってないような気がするんだけどなぁ。
若さが価値だとしたら減価していく一方で、
だったら補う財産は何だ?
どうせみんな年を取るのだ。
若いままではいられんのだ。
もう少ししたらしわくちゃのバアさんだ。
それが自然だ。
変わらないものはきっともう死んでいる。
「松浦弥太郎の仕事術」(朝日新聞出版)という本に、こんなことが書いてあった。
『履いているときの足元ではなく、どこかで脱いで、あたかも他人のもののように離れた距離から眺めたとき、「ああ、いいな」と思える靴。そんな靴を選びたいと、いつも考えます。
これは車も同じで、駐車場に停めておいた自分の車を遠くから見たとき「ああ、何だか好きだな」と思える車に乗りたいと思います。』(仕事と靴と車の法則)
自宅の駐車場に車を停め、窓ガラスに写る自分の姿をしみじみ見た。
これが今のわたしなのだ。
鍵をかけて、振り返って車を見た。
うん、なんだか、好きだ。
だったら、まあいいかな。
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