I♥エンスー vol.59 ハングリー?
中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。
(2011.2.1 掲載)
I♥エンスー vol.59 ハングリー?
昨年の11月、「1月○日空いてる?ランチしよう」と友人が誘ってくれた。
えらい先の話しである。が、そこのレストランはなかなか予約が取れない店なので一も二もなく了解する。
えらい先の話しだと思っていたがあっというまに当日を迎える。
洋食のお店なのだが、カウンターには板さんのようなオーナーがいて、店全体をきびきびと動かしていた。男性ばかりのスタッフも、オーナーに鍛え上げられているのが顔に表れているような男前揃いであった。
気心知れた友人なので、近況やらなんやら、とりとめのない話しをして皿を待つ。
彼女の息子が数字に非常に興味関心を示すので、検診の際に医者に話したところ、簡単なテストの後、共感覚の持ち主なのであろうということになったのだそうだ。
「ばーーーっと5ばっかり並んだ数字の中から、いともかんたんに“2”を見つけるんよ。」
共感覚(きょうかんかく)とは、ウィキペディアによると、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする、そういう現象なのだそうだ。先頃話題になった「絶対音感」なんてのもこの共感覚の一種なんだそうだ。
息子くんには数字に色がついて見えたのかもしれない。
「まあ、大きくなるにつれ失われることもあるそうなんだけどね。まわりにそんな特殊能力持った人いないからびっくりしたわ。」
へー!すごいね。
そんなとりとめのない話しをしながら前菜の皿に向かっていたのだが、ふと「これブロッコリー?おもしろいかたちだね」ともらしたそのひと言に、カウンター目の前のお兄さんが反応した。
「それはですね、ローマのブロッコリーで、ロマネスコといいます。」
忙しく手を動かし、オーナーから飛んでくる指令に全神経を傾けてると思ったのに、すごいね。
そう思って顔を上げると、そこもたしかに特殊能力の飛び交う空間であった。
数秒単位で変わるパスタの茹で具合や、お客の食べ進み具合、スタッフの動きや食材の切り合わせ、考えるよりも先に感じていなければとてもやっていけないようなランチの現場の真っただ中だ。
やがて、運ばれてきたクリームパスタを口にした瞬間、会話が止んだ。
美味しいと言うのも忘れて食べた。このソースの中で泳ぎたいと思った。ずっと食べていたいと思った。
なめたように綺麗に空にした皿を前に、我に返る2人。はー。
「集中する快感ってあるよね。」と彼女は言う。
「ピアノやってたときもね、譜面も鍵盤も見ずに音をならして、ああ気持ちいいー、ずっと弾いてたいーと思う感じが好きだったのよ。あと、プールでね、息継ぎせずに、25mとかずーっと泳いでて、このままずっと息しなくてもいいと思った。」
息子の特殊能力は母似なんじゃないのか。すごい没頭力。
残念なことにわたしにはそれが欠けている。決定的に欠けている。
さっきクリームパスタを食べていた時にも、隣の客がオーナーと「例のパン屋さんがあるレストランにパンを届けてね」という話しにずっと聞き耳を立てていた。ああ。
ちゃんと集中したい。無我夢中になりたい。あれ?気がついたらもう夜!?なんて驚いてみたい。
「でもさ、いろいろ気がつくよね。」とフォローしてくれる友人。
うん・・・まあね。常に気が散っているというか、拡散してるよね。
自分の結婚式の時とか大変だったもん。壇上で笑顔を見せながら、自分が書いた香盤表どおりに進行しているか、あの客はなぜあんなにぽつねんとしているのか、あそこの空席はなぜ戻らないのか、気になって気になって仕方なかったのであった。ドレスの裾めくってバックヤードに何度行きそうになったことか。
気がつき力? そういうのも特殊能力というのであろうか。
言われてみれば、ずいぶんぼんやりした子供だったと思うが、仕事の中で鍛えられたのかもしれない。現場で「役立たず」オーラを放つのが耐えられなくて、なんとか気を利かそうとしていたかもしれない。
そう、人は鍛えれば、目に見えないものが見えるようになるのだ。
車の運転なんかその最たるものだ。
踏めば走るしハンドルを切ればまがる。身体的な特殊能力はほとんどいらない。
しかし、交通の安全を担保しているのは、ルール遵守と特殊能力だと思う。
あ、前の車曲がるな、横の車入ってくるな、そういうのを、ウインカーが明滅するまえに感じる力。その感覚がもっと研ぎすまされると、タイヤを通じて路面を感じたり、エンジンの音で“車とおはなし”できるようになるのであろう。
それは気配、見えないものを見る力。
高速道路の右側車線を、延々ちんたら走って渋滞の先頭に立つ車は、前しか見えていない。バックミラーを見なくても感じる、後ろからの“殺気”のようなものを感じないのだきっと。それか、いやがらせしてるか。
「どうやったら、そういう感覚って育つのかな。」
お互い子をもつ母同士、デザートを交換してつつきながら考える。
「やっぱり、そういう能力が必要だ、伸ばしたいと自分で意識しないとだめなんだろうか。」
「人にとやかく言われて育つもんでもなさそうなことは確かだねぇ。」
どうせ凡人である、これでいいや、十分である、そういうことじゃ備わらないのかねぇ、などと幸せな満足にひたひたになりながらカフェオレをすすって別れた。
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