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2011年9月12日 (月)

I♥エンスー vol.61 見えない師

中国新聞 中古車情報サイト「チュレカ」(2011.3末でクローズ)に連載していたコラムのバックナンバーです。

Ensu

(2011.3.7 掲載)

※いよいよ最終回となりました。ご愛読ありがとうございました。


 I♥エンスー vol.61 見えない師


 仕事だとか、生き方だとか、「師」とあおぐ人が身近にいますか?

 「尊敬する人は誰ですか」ってことだと思うんですけどね。

 かつてのわたしはこう聞かれると、非常に困っていた。「世の中バカばっかりだ」と思っていたバカだったので、尊敬する人なんかいなかった。

 今は、もっと若い頃、「師」と仰げる人に自ら出会いにいかなかったことの損失を思ってくらくらしている。

 あのころよりちょっとは賢くなった(はず)なので、「師」は近くあちこちにいることがわかった。
 しかも、お目にかかって、対話できて、丸ごと学べる先達も「師」だが、会えない人もまた「師」となり得るんだとわかった。
 書物や、語られた言葉を通してその人に学ぶ。存在しなくても教えてくれる「師」。

 それはなにも、ギリシャ時代の哲学者などものすごいところだけではなく、寄り添うように近くにいることもある。


 先日の、父の三回忌、
 実家の仏壇の前にてお経を聞き、マイクロバスに乗り合わせてお斎(おとき)をいただきにお料理屋さんに行ったときのこと。

 献杯の前に、兄A氏があいさつをした。

 「今日は、父の三回忌の法要にお越しいただきありがとうございました。
 もう、三回忌、あれから2年の月日が経ちましたが、1日も父を思い出さない日はありませんでした。
 こう、朝顔を洗いまして、鏡を見ますと、口元のたるみやシワの具合が父に似てきたような気がいたします。
 先日も父が夢に出て参りました。わたしはこう、ガレージでですね、一生懸命車のバッテリーをばらしておるわけです。」

 ・・・夢の中でも車バラしてるのか。

 「で、これがうまくつながらない。なかなか苦労しておりますと、そこにひょこっと父が現れて、どれ、貸してみいと言ってわたしと代わり、かちゃかちゃとつないでエンジンをかけるとバンッとかかった。おお〜さすがじゃねぇと言うと、『わしゃあ電気のプロじゃけぇ』と得意そうな顔をしておりました。」

 メカ好きで几帳面でなんでも自分で器用にやっていた父。カタログを取り寄せて新製品のスペックを比べるのが好きだった父。休日にはガレージで車を手入れしていた父。車が大好きだった父。自分に似て車好きの兄が大好きだった父。

 「父と最後に言葉を交わしたのはなんだったかと思い出しますと、あれは肺のほうの治療をいろいろと受けていた時でした。最新の機械というのを装着してもらいまして、先生や看護士さんにあれこれと調整してもらいました。強制的に空気を送り込んだり吸ったりして呼吸を助ける機械なのですが、新し物好きの父は、こりゃあえぇ、と歓んでおりました。じゃあ帰るからね、という時に、そのマウスピースをつけておりましたから、言葉はしゃべれませんでしたので、こう、したんですね。」

 兄の方を見ると、誇らしげに、親指を「グー」と突き出していた。

 「この仕草は、肺の病気でしゃべるのが苦しかったこともあって、よくやっておりました。まさか、その晩に亡くなるとは思っておりませんでしたのですが、父の、それが最後の言葉でした。
 サムアップ、まるで飛行機のパイロットが飛び立つ前のように、かっこよく親指をたてて、父は逝ったわけです。」

 暗くて冷たい病室の寂しい記憶を上書きするように、かっこいい父の顔が鮮やかに浮かんだ。

 「今日はみなさま、父のことを思い出しながら、美味しいお料理を楽しんでいただければと思います。」

 立派にあいさつを終えた兄の横で、サムアップした父が笑っているように見えた。


 (おわり)

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