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2011年11月10日 (木)

F先生のノート

 先日の、「ランチタイムチャット・寄りんsci屋」でのこと。

 そのランチタイムチャットとは、広島大学理学研究科の理学融合教育研究センターが主催する毎週火曜のイベント。昼飯時にとある1室をオープンにし、先生、事務、学生入り乱れ、用意された美味しいものをつまみつつ、わいわいおしゃべりするミーティングなのだ。(詳しくは過去エントリー参照)

 広大理学部には、生物科学、数理分子生命理学、化学、数学、物理科学、地球惑星システム学という6つの専攻がある。その専攻の垣根を越えてざっくばらんに話をするところから、理学融合研究につなげようという試み。1年前にT先生が「そういう開かれた場があったらいいなぁ」と話されていたことが実現し、毎週大盛況なんだそうだ。Hさんの用意してくださるごはんが毎回グレードアップしてて非常に旨い。これもみんなを引き寄せる大きな魅力でしょうね。

 で、今回は「ランチタイムセミナー」が開催された。
 飲みながら食べながら、研究の話を伺うカジュアルな会と聞いて伺った。
 スピーカーはF先生。論文がNature掲載に至るまでの軌跡をお話しされた。

 そもそも、なんでその研究をすることになったのか。
 話は10数年前にさかのぼる。
 画面に映し出されたのは、手書きのノートの1ページだった。

 「これ、1999年○月○日のノートなんですけどね、ここに書いてるんです。分析すべきものと、“これに命懸ける!” って。」

 その後、だーれも手を付けなかったその謎を解くために、試行錯誤、紆余曲折、その経緯をその時々のノートのメモとともに教えてくださった。

 会場はもぐもぐしながらも話に引きつけられ、真剣に聞いたり爆笑したり。とってもおもしろいセミナーだった。研究裏話って、究極のドラマが詰まってるなぁ。嘘みたいなドキュメンタリー。

 さて終了後、旨い豚汁をすすりながらF先生と立ち話。

 話に出なかったもうちょっと裏話などいろいろ伺う。
 で、机に数冊のノートがあるのを発見。
 「誰か見たい言うかなぁ思って持って来たんやけど」

 見せてください!

 そのノートはA4サイズの無地で、表からは研究についてのアイデア、裏からは事務的案件についてのアイデアを書いていく。中程で出会ったら新しいノートへ。年に2、3冊ずつ増えて、今では通し番号No.47、47冊目となっている。
 なんでもお父様がエンジニアで、特許案件のアイデアなどをずーっとノートに書き留めていたそうで、「仕事は違うけど、アイデアを練るのは一緒だからお前もノートを作ったらいい」と教えられて始めたのだそうだ。

 「2回ほど落として、名前書いてないのにこれF先生のでしょって戻って来たことがあって。なんでわかったんやろ、名前書いてないのに、頭の中のぞかれてる感じでめっちゃ恥ずかしかった。」

 そう、そのノートはまさにF先生の頭の中そのものだった。

 すべて書き留める。記録を取る。まずは日付、どういう経緯で誰とどこで話したか。そういうシチュエーションもまず書く。
 たとえば誰かの論文発表を聞いて、その内容を書き留めつつ、浮かんだ疑問を「?」マーク付きで横に書く。その後質問して解決したことは矢印をのばして書いておく。あとで調べたことも書き足しておく。そして、自分ならこうするのに、これはああ使えるんちゃうか、と思いついたこともすかさず書いておく。
 しっかりした筆致の文章と、思考を追いかけるようにさまよう線と、図形と、とにかく頭の中の動きをすべて記録していった、十数年分のノートなのだった。

 「自分ではこうやと思い込んでたことも、ノートめくって確かめてみたら違ってたりして。」

 

 なんというか、「考える」ってことをしみじみ思った。

 先生はセミナーの最後にこう言われていた。
 「学生の人にもこれは伝えたいんですけど、とにかく、自分がこうや!と思ったことをあきらめないで、追い続けてほしいと思います。それがたとえ競争に負けたり、あかんかったりしても、あきらめるんじゃなくて、違うアプローチで、2回3回ひねったらどうなるやろとか、とにかく続けてほしい。」
 そう、先生も“命を懸ける!”と10数年前に書いたことを、とうとう結実させた。その言葉には説得力があった。

 でも、「こうや!」と思ったことをずーーーっとあきらめないでいて、あたためて、考え続けるって実は相当難しいんじゃないかと思う。
 「こうや!」と確信し輝いていたことが、いとも簡単に輝きを失って、あの確信はなんだったのかなと、すぐに心が揺らいでしまうからだ。

 しかし、「こうや!」と考えたときのこと、確信に至った経緯を記録していたら。
 人は忘れっぽい。昨日の晩飯のことも昼には忘れてる。だから書いて残しとくべきなのだ。
 晩飯のことを書き残すのもいいが、「こうや!」の瞬間は確実にスケッチしておくべきだ。
 それがどんなに、後日の自分を励ましたり思い直させたりするか。

 じつはそこを怠っているのが自分なのだ。

 ノートは何冊もある。
 仕事の打ち合わせだったり、インタビューメモだったり、たまに浮かんだいい考えもあるけど、よそで拾った誰かのいい言葉だったり、たまに滅滅とこぼしてみたり、愚痴泣き言・・・
 ・・・読み返すに値するか?

 クライアントごとに進行案件は違うし、ノートを分けたりしていたんだけど、
 「それじゃプロジェクトを横断するひらめきのようなものが生まれないんだよね。」

 ということで、その日から手元のノートに考えをスケッチするように書き始めた。すぐやる課。

 浮かんでは消え浮かんでは消え、ああこれほどまでに浮かんだ考えを消していたのかとびっくりした。

 エンジニアでも研究者でもないけど、考えるべきは「伝わるってどういうことか」「美しいものはなにか」「心をうごかすものはなにか」「人をあたためるものはなにか」その周辺なので、日々淡々とスケッチしていこうと思う。ちょっと未来の自分への手紙のように。

 

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