身体感覚をとりもどせ
ウクレレを買った。
弦楽器をさわったのははじめてだ。
じつは前から、ギターを弾いてみたかったんだ。
楽器屋さんを横目で眺めたりしたけど、アコースティックギターも案外高いのね。
買ったところで弾けないし、習いにいくのもなぁ、と月日は過ぎた。
斉藤和義が、震災後に出したアルバム「45STONS」に、「ギター」という曲があった。
その歌詞は、こうだ。
「 淋しいときには ギターを弾こうよ 下手でもいいから 願いをこめて
悔しい涙も 虚しい怒りも 冷たい嘘も 忘れてしまうから
大人にだって 晴れた夜を 子どもにもっと まぶしい扉を・・・」
一生のうちで「ギター」というタイトルの曲はおそらく1曲しか作れない。
どんなに強い思いが込められているか。
(ちなみに斉藤氏は自分のギターをオークションで売って、被災地の学校にギターを贈る準備をしているそうです。)
この曲を聴いて、ああ、いいんだ、と思った。
プロじゃなくても、プロを目指さなくても、下手でも、弾いていいんだと。
なんか、大人になる過程でいろんな事をあきらめて人に任せてきたんだなあと思う。
歌う事も、プロになれないんだしとやめた。
歌うのはせいぜいカラオケか車の中か風呂の中。
楽器を弾くのも、うまい人が弾くのを聞くばっかしだ。
試合も見るばっかし。
映画も見るばっかし。
本も読むばっかし。
食べてばっかし。
飲んでばっかし。
寝てばっかし。
オートマチックに、「与えられたもの」でたのしむ。それも楽しい。でも・・・
とりもどさなきゃ、自分の手に、と強く思った。
自分の感覚と向き合って相談しながら、うまくいったりいかなかったり、
手や身体をもっと使って自分でやることを取り戻したい。
そう思っていたところに、「Puu」さんで「カフェのウクレレ教室」があるのを知った。
当日思い切って電話して息子と参加した。
最近テレビゲームの味をしめてしまった息子にも、なんかそういう、うまくいかないもどかしい身体感覚を味あわせたかった。
午後の部はなんと親子2人だけで、先生にマンツーマンで教えていただいた。なんという贅沢。
はじめて触るウクレレ。
4弦で、ギターは6弦だというのもはじめて知った。
でも、押さえて、はじくと、きれいな音が鳴った!
こう押さえると、和音が鳴った!
それをつなげるとなんとなく曲になった!
なんて楽しいんだ〜〜〜〜!
息子ほったらかしで、かーちゃんが必死だった。
その帰り道、楽器屋さんに直行してウクレレを買ったのだ。
チューナーとビギナー向け教習本とソフトケースつけて2万円くらいだった。
帰って息子ととりあいながら弾いた。息子が案外めきめきうまくなるんだこれが。
空洞の楽器を抱いて鳴らすと、おなかのあたりにやさしい振動がつたわる。
耳で聞き身体で聞き、指で聞く。
これはCDじゃわからないことだよね。
世の中はそういうことばっかしなんだろうと思う。
知ったつもりになって、なんにもわかっていないことだらけだ。
かたっぱしから取り戻すつもりでいる。
欲も業も深い。
でもこれが生きてるってことだと思う。
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コメント
そういうこと!おかぁちゃんとリュウちゃんガンバ!
投稿: | 2012年3月23日 (金) 02時08分
あざす!
投稿: | 2012年3月23日 (金) 07時39分