サイエンスカフェ前夜
正確には明後日にせまった、広大理学研究科サイエンスカフェ。
今回、極小から極大まで、「大きさ」に注目して6人の異分野の科学者がリレーで話をする。
素粒子から原子、分子、水、植物、地球、太陽、宇宙・・・
それを2時間で旅する。
くらっくら。
その何回目かにして最終の打ち合わせにて。
そう、当日再現されない打ち合わせこぼれ話の中に、もうキラッキラの面白い話がいっぱいころがるんですよ。打ち合わせというより夢中で話して長くなる。
この調子でずーっと話を聞いときたい。
夏場に、「サイエンスカフェマラソン」あるいは「サイエンスカフェ合宿」って感じで、寺かどっかでノンストップでやりたいくらいだ。ぜったいおもろい。
そんなお宝無駄話のなかにこんなのがあった。
「それにしても、全宇宙のたった4%しか解明されてないなんて、それがわかる前の科学者は、あともうちょっとで全部わかる!と思ってたのにがっかりでしょうねぇ」と言うと、
「原子を見つけただけで世界の謎がとける!と思ってた時代から、科学なんてそれの繰り返しですよ。」と。
なるほどねぇ。科学の進歩ってのは、「わからない」領域をひろげる歴史だったんだなぁ。
こんな話もでた。
ある科学者に注目のトピックで講演をたのんだら、「わからないからしゃべれない」ときっぱり断られたんだそうだ。
「わからないから、おもしろいと思うか、わからないから、興味がないか、分かれますよね」と。
それってとってもとっても大事なポイントだと思う。
知らないんだということを知らなければ、案外知ってると思えて快適だし満足だ。
自分はぜんぜん知らなかったんだ!とわかることはある意味残酷で、
知っていたと思っていた地平が永遠とも思えるほど遠のく。
でも、その距離を知覚できなければ、永遠にそのままだ。
そのままでいることは、たぶんゆるやかな死だと思う。
痛みと引き換えに知り得たその「距離」だけが、
そこにたどりつくための機動力になるような気がする。
広島大学が掲げる「学問は、最高の遊びである。」を指差して
「ハテナは、最高のよろこびである!」とT先生が言った。
今回のサイエンスカフェオールスターズの先生方はみんなそうだと思う。
自分の研究分野以外は実は暗いと白状しながらも、ほかの先生の話に触発されて疑問はむくむく広がり新しい知見を得ようと興味の触手をぎゅぎゅ〜んとのばすのだ。
どうかサイエンスカフェで、そういう先生方の「最高のよろこび」のいちぶぶんをのぞいて見ていただきたい。
まだ自分でも知らない、新鮮な「スコープ」を獲得できると思うよ!
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