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2012年7月13日 (金)

学びと尊敬と卑下

 台湾に住み、茶作りをされている方のブログを拝読した。
 「感心させられた出来事」

 日本の紅茶生産の第一人者と呼ばれている方が烏龍茶作りにトライされ、その茶を筆者に飲んでほしいと言った。
 筆者は、父親より年上の大先輩だが、思うことを言った。
 その人は、「ちゃんと僕の意見に耳を傾けてくれた」。

 年がどうの、立場がどうの、ではなく
 学ぶべきものを持ってる人には「勉強させていただきます」
 この 素直な耳
 これだけが人を成長させるのだと思う。いくつになっても。

 気をつけないとね、などと頷きながら読んでいて、思い出した話。


 わたしはどちらかというと、「学びたがり」指向が強く、
 裏を返せば、「いつまでも未熟」「至らない」「まだまだ」という思いが強い。
 もっと言えば、「自分はだめだ」と否定に走る傾向がある。

 なんのプロフェッショナルでもない、なんとも名付けられない、評価もされない自分にうんざりしてきた。だから、自分で自分がちゃんと誇らしく思える自分になりたくて、どうしたらいいかじたばたしている。

 いろんな素晴らしい人に会い、話しを聞いた。
 「すごい!」
 勉強になった。
 しかしその度に、その人のすごさに「太刀打ちできない」自分を見つけて落ち込んだ。
 どんどん、卑下していく自分。


 数年前、コピーライター養成講座に通ったことがあって、
 今をときめくコピーライター氏に質問をしたことがあった。
 (その過去記事はこれ

 「すごいな、と思う人にいろいろ話しを聞くけど、自分に確信が持てない、自力でどう育てばいいのか」と聞いた。

 「あなたの言う「すごい人」のすごさって、何?」
 と聞かれた。
 「じゃあ、図書館の司書の、銀行の窓口の人の、そういうすごさは、あなたにとってすごさじゃないのか。その、すごい人の「すごさ」は何なのか?集中力か、打たれ強さか、
 その人的なものは何なのかをちゃんと把握しなさい。
 すごい人、という全人的なものに圧倒され傾倒する必要はない。
 いい大人なんだから、選びなさい。」
 と。

 そう、「すごい人」という圧倒的存在をかってに祭り上げて、奉って、あがめて、その大きさにくらくらして、自分を卑下して、苦しくなっていた。
 わたしの思う「すごさ」は、結局自分のコンプレックスのお化けだったんだ。

 今でもときどき、そうなりがちになるけれど、
 そういう傾倒は、勉強とはちがうと思う。
 
 自分は年上だから、先生だからと、尊大になって相手を小さく見積もるのもだめだけど、
 自分はまだまだだから、至らないからと、自分を小さく思ってもだめだ。

 たしかに、すごい。でも、そのすごさはどういうすごさなのか。
 学ぶべきところはどこなのか。
 正しいサイズで見る。

 このサイズ感の感覚を澄ますのが、学びの入り口なんでしょうね。


 

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