愛嬌の師匠
秋だよねぇ、という空と風だったので、ぶらぶら歩いた。
あ、今個展やってるんだったと思い出して、「ギャラリー一葉」に立ち寄った。
横山拓也さんという作家さんの、黒と白の器が並んでいた。
ひとつ、別嬪を連れて帰った。
包んでもらっていると、ふと壁の絵に目がとまった。
あの絵、すてきですね。
「わぁ、うれしいなぁ。あれはね、佐野繁次郎なんですよ。」
ほう、サノシゲジロウ・・・(すいませんあちこち暗くて)
それから、その絵はある雑誌掲載小説の挿絵の原本だということ、入手のいきさつ、憧れだった額装店に額縁をオーダーしていることなどを話してくださった。
「いやぁ、絵はいいです。」
山種美術館もいい、細身美術館も、神戸には香雪美術館があって、その近くにはバターコーヒーで有名なダンケという店がありましてね、ずいぶんオーバーな素振りで珈琲を淹れるもんだねと聞いたら、こうしないとさっぱりと入らないんだということでしたね、
などと連想ゲームのようにお話が続く。
「吉兆庵美術館で魯山人を見ましたらね、やっぱりデパートの催事とはちがうわけです。
なんせ吉兆のためだけにつくったわけですから。
そこで見た魯山人はなんというか、愛嬌がありましたねぇ。」
愛嬌ですかー。
「先日ある作家さんの個展を見に行って、やっぱりね、こう、花瓶の口のあたりになんとも言えない愛嬌を感じたんです。で、愛嬌がありますね、とお話ししましたらね、一葉さん、そこまで言われたらお見せしましょう、これが僕の師匠です、とね、前期古伊万里を出してみせてくれたんです。
やっぱりねぇ、そこにもちょーっと首をかしげた、なんともいえない愛嬌がありましたねぇ。」
ははー、『師匠』出ましたかー。
仕事を共にして、直接指導を受ける師匠
憧れてるけど会えない、目標と思う師匠
もう死んでて会えないけど、残された文章や作品から学ぶ師匠
師匠と決めるのは、その入門者の心次第なんだなぁ
その作家さんは、その古い陶器の作り手と、時間を超えて語っているのかなぁ
などと思った。
「東京に行くなら、雑貨屋さんを回るのもいいけど、ひとつでも美術館に行ったらいいよと若者に言うんです。いらんお世話なんですけど、もう前期高齢者なんで、言うんです。」
そうですねぇ。見ないと、見る目は獲得できませんよねぇ。
作家さんの名前とかさっぱり覚えてない、ものを知らないスナリは反省。
と同時に、にじみでる愛嬌っていいなぁ、と思った。
魯山人の「愛嬌」って、どっからくるのかしら。
こしらえてできるものじゃないもの。
見る目も
つくる手も
語る口も
筋トレですね。
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