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2012年9月25日 (火)

褒めよ讃えよ

 ツイッターである方が、ある作家さんの器について書いていた。

 その作家さんの器をわたしも先日やっとこさ求めて、みんながいいって言う理由がわかったので、そうそう、いいのよねぇ、と眺めていた。

 が、だんだん語り口が熱を帯びてきた。
 まるでその作家は人里離れたところで水も飲まずに作陶してて、少々のことでは一般人の謁見なんぞ叶わないのではないかと思うくらい、崇高な描写だった。
 そんな神の手がつくりだす器は後光が射しております的な話になった。
 

 あわてて我が家の器をみた。

 まあ、素敵ではあるけど、至らぬ自分には後光が見えない。
 おそるおそる触る。
 気軽にお茶なんか淹れたら、罰が当たって口が腫れそうだ。

 


 なんかこの、「うっとり感」って、やっかいだ。

 大昔とある雑誌の編集とかやっていて、なかなか取材させてくれない、気難しい店主の店なんかを取材して書いたりしたことがある。
 店主のひと言ひと言を、人語に絶する修行の賜物であるかのごとく聞き、出された料理をうやうやしく撮影し、喰ってもいいといわれ、ひれふして食した。店主の上機嫌だけを願った。

 帰社して書く原稿は、賞賛の嵐だ。
 ここのこれを喰わずに平気でいるやつは人にあらずくらいの勢いだ。
 
 店主の校正確認では、ほんのちょっと、こだわりの訂正をいただき、無事掲載となる。


 なんですかね、あれ。

 すごいなーすごいなーと思いたくて思い込んで、どんどんすごくして、神のようにあがめて、ひれ伏して、賛美して、そうやって仕える自分に「うっとり」する。

 んで、ちょっとでもその評価に異論を挟まれようものなら
 わかってない、とか、審美眼を疑うとか
 ぎゃんぎゃん言うわけですよ。自分のことみたいに。

 編集して紹介するその「仲介者」がうっとりしすぎると、排他しちゃうね。本末転倒。


 結局、褒めることで、そのすごい人に気に入られたいという下心があったのかなぁと思う。
 好きだから、尊敬するから、ほめる。いやらしいわぁ。
 そんなことで気に入られたって、子分どまりなのにね。
 
 正しい距離感でほめるって、むずかしい。

 こんなすごい人でも、風呂で屁こいてるんやくらいのフラット感で接したいものです。(ちがうか)


 

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