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2012年10月24日 (水)

東京マダム

 先日東京に行ってきた。
 土曜日の、中国茶のイベントを見たくて行ってきた。
 日帰りは慌ただしいので、一泊した。

 前日昼に羽田について、乗り継いで渋谷へ。
 渋谷の奥の松濤というところの美術館を見に行こうと思った。

 まずはちょっと、あたらしくできたヒカリエってどんなのか見ることにした。
 中国茶の教室で知り合った方がそこに転勤になったと伺ってもいたし、ちょっとのぞいてみようと思ったのだった(いなかったけど)。

 ほうほう、ハチ公側じゃないほうにできたのね。
 うんざりするような人の流れはさすが東京
 もうつかれてきた・・・

 きらきらしいそのヒカリエは、「なんでもあるなあ!」だった。
 服も、雑貨も、食料品も、化粧品も、
 あれ、ちょっとお茶菓子にかわいいなあ。
 あれ、洗濯物入れるのにちょうどいいなあ。
 でもそんなばかでかいカゴさげて歩くわけにもいかないので買わなかったけど。
 
 若い女子ばっかしかと思ったらそうでもなかった。中高年の女性も楽しそうにお買い物されていた。
 平日昼間だからかな。
 
 8階「8/」にあがると、案外人は少なかった。

 「47の日本を一カ所ずつ、一冊ずつ、ロングライフデザインの視点で旅するトラベルガイドブック、d design travel」の「東京号」を特集する展示があった。
 となりには「d design travel」セレクトショップがあった。

 入り口に金魚鉢があり、「広島の珍しいメダカ」とあった。

 あ!あの、廿日市から吉和に抜ける道の途中にある、不思議なメダカ屋だ。
 行ったことはないけど前を通るたびになんじゃろうかと眺めてた。
 メダカ業界では有名なのであろうか。
 地元ではまるで接点のなかったものに渋谷でお目にかかる、なんか変な感じ。


 さて、昼飯どきも幾分か過ぎてお腹もすいた。
 「d47食堂」というのがあったので、そこで食べることにした。

 カウンター席に案内される。
 日差しがまぶしいので白いロールカーテンがおろされていたけど、
 たぶん渋谷駅を見下ろすロケーションなんでしょう。

 メニューを見ると、日本各地の産品が並んでいる。
 
 夏に行った高知の「りぐり山茶」もメニューにあった。栗焼酎「ダバダ火振り」も。

 さて何をいただこうか。

 じゃあ、東京定食。

 「すいません、あいにく終わっておりまして・・・」

 あー・・・じゃあ、大阪定食で。

 東京でなぜ大阪定食。よくわからないが、美しい定食がやってきた。

 Img_2175


 小鉢の牛すじの土手焼が大阪っぽいね。
 野菜のことこと煮たスープが身体によさそうだ。
 しかしこれで1500円ですからさすが渋谷価格、

 などとひとりもくもくといただいていると、隣のマダムたちの会話が耳に入ってきた。


 カウンターに案内された時にはもう、珈琲を飲みながら会話を楽しまれていた。

 席に座りながらちらっと伺うと、トシの頃は50代後半から60あたま、お二人ともとってもお綺麗で、なんといってもゴージャスだった。

 バッグ、指輪、お洋服、ヘアスタイル、とても上品で高級でお洒落で、家庭画報からいらっしゃったかのようだった。
 はっはーさすが、都会のマダムは違うねぇ。


 おしゃべりの内容を盗み聞くのは趣味が悪い。
 とはいえ、都会のイントネーションで優雅にしゃべるその声は、耳に心地よく聞こえていた。

 そんな会話をBGMのように聞き流しながら、これ食べたら美術館までどう歩けばよいのかしらなどと、アイホンで地図を広げていたら、突然すごくクリアに会話が胸に飛び込んできた。


 「わたしねぇ、ゆうべも眠れないほどだったのよ。
  もう最近、とっても、鬱になるの。」

 「あらどうしたのよ」

 「そこそこな家に住まわせてもらってさ、美味しいものたべて、お芝居見て、たまには旅行に行ったりなんかしてさ、
 それでいいのかしら、って。
 わたし、なんの役にも立ってないんじゃないかしらって。
 そう考えたら、なんだか虚しくなっちゃってぇ。」

 「んまぁ あなた、いいのよぅーそれで、しあわせじゃない、楽しまなきゃあ。」

 びっくりして箸を持つ手が止まった。

 こんなに綺麗で、ゴージャスなマダムなのに。

 そのマダムの憂鬱が、箸を伝って流れ込んできたかのように、こちらもどーんと虚しくなった。

 豊さって、いったい何なのかなぁ。

 
 先日読んだ本を思い出した。
 暉峻 淑子さんの「豊かさとは何か」。

 その一部分をノートに書き出していた。

ーーーーーー

 公共とは、お上ではない。
 一人ひとりが、自主的に、共同体的な土台に対して、意味や行動を投げかけて、たえずそれを「われわれのもの」として改善していくと同時に、その土台がわれわれ1人ひとりを支え自由にする、という意味で、公共のものは共有の財産なのである。
 それは支配服従の関係でもなく、ある価値観の押しつけでもない。
 その基盤がしっかりしたものであればあるほど、競争によって個人が押しつぶされることはなくなるだろう。
 モノとカネのやりとりによって人と人のつながりができるのでなく、人と人のつながり方をよくするために、モノとカネが動くことになるだろう。

ーーーーーー

 たぶん、「公共とは、お上ではない」っていう文にハッとしたのだと思う。

 国はだめだ、役所はだめだ、
 震災や原発や、そういうふうに嘆くのはかんたんだし、賢そうに言い立てる言葉のひな形もたくさんある。
 でもそれは、公共はお上のものであると、明け渡してしまってる宣言だ。

 公共は、お上のものではない。
 公共を、わたしのものとして考えなくてはいけないんだな、としみじみ思い、ノートに書き留めておいたのだと思う。


 今こうして、マダムの嘆きを聞いて考え込む。

 いい家に住むことも、美味しいものを食べることも、お芝居を見たり旅行に行ったりして楽しむことも、私的な楽しみかもしれない。
 自分だけが歓んで、だれも歓ばせてないんじゃないか
 そんな淋しさに、耐えられる人は少ないんじゃないか。

 ふー。

 お友達は
 「んまぁ あなた、いいのよぅーそれで、しあわせじゃない、楽しまなきゃあ。」
 と言ったけれど、
 そしてなぐさめの言葉としては無難だと思うけれど、
 私ならなんと言っただろう。

 あのー、マダム、

 たとえば素敵な靴を、お洋服をお求めになるなら
 「ありがとう、あなたのおかげで いいお買い物ができたわ。」
 とにっこり微笑んでください。
 疲れたお店の方は、マダムの笑顔を見て歓びが身体にみなぎるでしょう。

 お芝居やコンサートを見たなら、渾身の、惜しみない拍手を。
 演者にとってのなによりのご褒美、さらによいパフォーマンスを目指そうと思うでしょう。

 旅行に行かれたならば、ガイドさんや土産物のご主人の話に、おおきく頷きながら話を聞いてみてください。
 聞いてくれる歓びに、もっともっと、魅力的な話をしたくなるでしょう。

 何よりマダム、カウンターでゆったり珈琲を楽しまれるその美しい様子に、わたしは「素敵ねぇ」と拝見しましたんですよ。いい景色として。

 人の為に役立つこと。
 そういう仕事に情熱を傾けるとか、
 ボランティアに打ち込むとか、
 そういうことばかりでもなくて、

 マダム、あなたは十分に人に歓びを与えるチャンスをお持ちです。
 そしてそれは、また、誰でも。わたしも。

 公共、
 深いか浅いかはべつにして、
 人と人がつながることで
 よくなる。そこにものとお金が流れる。
 そういう豊かさに、たった今からでも参加できる。


 「ごちそうさま、ありがとう」
 会計を済ませ、大きな声で挨拶をして、美術館に向って歩き出した。


 

 

 
 


 

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