頭の中で鳴る言葉
FBのタイムラインに、編みかけのセーターの画像が登場した。
その方は編み物作家さんなので、たぶん、市販の編み図なんかは見ずに、ブラインド編み(?)されるんだと思う。
裾からぐるっとまわって、背中に立ち上がっていく。
きっと、そのセーターのデザインは、頭の中にもう完成しているのだと思う。
先日、さしもの家具職人さんと話したときも、
「完成した形は、つくるまえにもう頭の中にあります。
それを立体的に、こう、まわしてみたりできます。」
と言っていた。
仏像を彫る人なんかも、木の中からそのお姿をとり出して差し上げるんだ、みたいなことを言っていた。
デザイナーも、頭の中にあるデザインを、パソコンを使って再現するんだと言う。
武道家は
「同機が成立するためには同機に先立って同機していなければならない」
つまり、
「考える前に考えるんだ」と言う。
とにかく、熟達したプロたちは、頭の中で一度完成させている。
頭の中で、「ありありと」完成形を見る
それができないと、実際にやってもうまくいかないそうだ。
「すべてのものは2度つくられる」ってことか。
行動しようとする前に、すでに脳は活動していて、それは「意識の原型」と言われるようなものなんだそうだ。
で、
「正しい反射をしてくれるか否かは、本人が過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存する」
らしい。(池谷佑司『脳には妙なクセがある』より)
よい経験かぁ。
自分の中に「よい経験」
基準となる、理想となる、美しいもの、美味しいもの、それをサンプルとして備えておいて、そこに近づくように、「よい経験」に照らし合わせて、自分の身体で調整していくんだな。
その繰り返しで、うまくなる。
なるほど。
ギターを弾く人は、きっと頭の中で鳴ってるよい音を、弦を弾いて探してるんだと思う。
今年ウクレレを買って、生まれてはじめて弦をならしてみた。
楽器の胴を伝って身体に音が響いてくるのをはじめて感じた。
それは、聞いていただけじゃわからない、生々しい体験だった。
そしたら、ギターを弾くのを見る感覚が今までとはちがっていた。
ほんの少し、寄り添う感じ。
でもまだタブ譜とコード表がないと弾けません。
息子なんかは、ぜんぜん譜面なんか見ないんだよな。
耳で聞いた音を、指で探してじゃかじゃか鳴らす。
そして、かーちゃんなんかより上達がはやい。
しかしわたしは、次に編み物に手を出そうとしている。
ウクレレもろくに弾けないのに、だ。
編み棒を持つのは高校生以来だ。
なんか、たしかに手元に残るものを生み出してみたかった。
こつこつと、手を動かすなにかがしたかった。
当然、作り目から忘れてる。本を買った。毛糸は土曜に届く。
上手にできなくてもいい、わくわくする。
ひとつのことをとにかく極めていけない性分なので、
だったらひとつでも多く、自分の手でやってみたいと思う。
どれひとつ熟達はしないかもしれないけど、やってみたい。
やらないとわからないことが、世の中にはまだまだたくさんある。
やってみたことが、「よい経験」になる。
それはとっさに、言葉となってわたしを助ける。
編み物したら、頭の中で、どんな言葉が鳴るのだろうか。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント