器でかわる
先日のNHKカルチャーセンター「おいしく淹れよう中国茶」は、
「器による味のちがい」というテーマでやりました。
「器は茶の父なり」 (茶の母は水だろうか)
茶を美味しく淹れるためには、茶器の選択が大事といわれています。
中国茶を淹れる器といえば、「宜興茶壷」ですね。
紫砂とか朱泥といった、鉄分を多く含む土から焼かれた「炻器」(せっき。陶器と磁器の中間的な性質を持つ)です。
こういうやつですね。
この紫砂の茶壷がお茶をおいしくするのは、胎土に細かい孔があって、そこに雑味成分を吸収するから。また、吸収した香り成分を放出するため味わいに厚みが出る、あるいは、味わいが持続するとも言われております。
そのかわり、この茶壺はこのお茶専用、と決めたほうがよいとも聞きますね。高山茶用、岩茶用、鉄漢音用、鳳凰単叢用・・・たくさんいるじゃないか(嬉々)
そうやってこのお茶にはこの子、と使い分けるのも楽しみのひとつなのでしょう。
一方、磁器の茶器は表面がガラス質なので、匂いも吸収したりしない。ハイターにつけて茶渋とってもOK。なので、1つあればどんな種類のお茶でも淹れられる万能茶器、と言われてます。
ほんまかいな。
ものの本にはたいていそう書いてあるし、そんなもんかなと思ってそうしてるけど、改めて考えると、どうなのかなという思いが頭をもたげる。
ほんじゃ実験してみましょう。
「せんせ、理系?」
いえー・・・ばりばりの文系です・・・
でも、やってみないとわからないですもんね。
まずは、台湾高山茶(梨山、海抜2200m)。
左が、台湾の作家さんの紫砂茶壺。裏に「辛巳」とあるから、もう12年のつきあいか。
右は磁器の茶器。ほんとは煎茶点前用です。
湯の量も、茶の量もほぼ一緒、
湯をそそぎ、タイミングを見計らって同時に茶海に注ぎ出します。
両手で、2丁拳銃状態。
「はぁ〜〜いい香り!」
見た所、右の磁器のほうが水色(茶の色)がうすい。
飲み比べても、右の方が味も香りもうすい。
その理由は1煎目を淹れたときにわかっていました。
右の方が早く注ぎきれる。
左の紫砂茶壺は、細く長く注がれる、つまり、茶の葉が湯につかってる時間が右よりもすこし長いのです。
3煎目は、右の方を若干長く間合いをとり、水色を同じに淹れてみました。
「あらぁ、」
「色は同じなのに、味がちがうわぁ」
「ほんと、なんか磁器の方が浅いというか・・・」
「ねぇ、香りもちがう」
いやぁ、ここまで違うとは思わなかった。
なんというか、二つがぜんぜん違うお茶のようだった。
やっぱり紫砂茶壺で淹れた方がうまいのよ。
「せんせ、やっぱりわたし紫砂茶壺買おう!
ここまで違うんなら、ほしいわー」
ねぇ、びっくりです。
まてまて、焙煎の浅い、高音のような味香りの高山茶はそうかもしれないが、
岩茶ならどうか。
左は、大陸の朱泥茶壺。岩茶とか鳳凰単叢を淹れるのに使っています。
右は磁器の茶壺。
淹れるのは岩茶、極品肉桂。
さきほどと同じ要領で淹れてみます。
今度はほぼ、注ぎきるスピードも同じ。
なのに、水色こんどは磁器の茶壺のほうが濃いのです。
「あら、なんだか磁器の方が苦みがつよいわぁ」
「ほんと、でも美味しい〜」
「これ、別々に出されたらどっちも美味しいわぁ」
「シナモンって感じはしないけどねぇ」
「いやぁ、おいしいわぁ」
ほんとに美味しいお茶だったので、何で淹れてもうまかった。
でも、やっぱりちがうんですなぁ。
磁器の茶壺は、いいとこも悪いとこも味も香りもぜんぶまっすぐに出す感じ。
朱泥のほうは、まあるく入る感じ。
たとえば、香りが命の鳳凰単叢なんか淹れる時には、好みが分かれるだろうなと思う。
蓋碗という茶器もある。素材は磁器が多い。
これはまた、茶壺とは淹れる感覚がぜんぜんちがうものだと思う。
湯を注いだら、蓋をとって中の水色を見る。
刻々と、抽出され色が変わっていく。
ほんとに、数秒のちがいで味が香りが変わる。
さらには、湯の注ぎ方、蓋碗の倒し方(出し方)でも変わる。
目指す味に淹れようと2煎、3煎と淹れるがうまくいかず、
先生が代わり、そこにそーっと湯を落とすと、まるでちがう茶のように入った、
あのアメージングな感覚が残っている。
難しいとも言えるし、自由自在に淹れることができるとも言える。
ここには紫砂とか磁器とか、そういうこととは違う
ひとつの技があるように思う。
自分の思う「うまい」を確実に淹れるのはこちらなんだろうなぁ。
でもわたしは、何度も湯をくぐった紫砂や朱泥の茶器を
なでたりさすったりするのが好きなのだ。
うまさって、そういう愛しさも含みますよね。
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