素也だった
駆けぬけた3月であった。
ほぼ毎週、各地でサイエンスカフェのファシリテーター(司会)をつとめた。
地熱発電、サドガエル、はやぶさとイトカワ微粒子・・・
どの話もおもしろかったなぁ。
打ち合わせから打ち上げまで、いろんな先生方とみっちりお話しさせていただく機会があって、サイエンスカフェ本番で伝えきれなかった「ええっ!」とか「へえぇぇ!」に満ち満ちていた。私だけが知ってるなんてああもったいない。いずれまたお伝えできたら。
さて、科学者である先生方とお目にかかってご挨拶すると、だいたいまぁ、寺本おまえはいったい何者なのかと確認される。司会が来ると聞いてはいたが、アナウンサー的華やかさに欠ける普通のおばはんなので不思議に思われるのでしょう。
なんの仕事をしているのか、大学では何を学んでいたのか、という話になる。
いやぁ実はサイエンスとは縁のない、バリバリの文系でして、
日本文学というツブシのきかない学問をしておりまして、などと照れながら話すことになる。
ほう、で、卒論は何で書いたの?
ええっと、谷崎でして、
ほう、谷崎潤一郎の何を?
えっと初期の短編で「刺青」ってのがありまして・・・
大学で学んだことや卒論のテーマなんて、現在の人生の奥底に埋没してまるで忘れていたが、とつとつと話すうちに思い出してきた。
腕利きの刺青師・清吉の宿願は、自分の目に叶う女の肌に自分の魂を彫り込むことだった。
自ら作り上げた究極の美の肥やしにされてしまう彼の、その美意識について書いたのだった。そうだったそうだった。
なんかその、自分が美しいと思うものになら滅ぼされたってかまわないという感覚は、わかるような気がするなあとぼんやり当時から思っていたのだった。
自分のことはちゃんと全部わかっていると思うのは間違いだ。
こうやって人に問われて答えてはじめて、耕されあらわれ見えて気付くものもあるんだなあと思う。
ある先生は打ち上げの席でこういわれた。
「寺本さんは、話していて、普通のパーソナリティの方と違いますね。
なんというか、すっと話の中身に入っていって話すというか」
それもまた、へぇぇ、意外だった。
たぶん広告の仕事をしてきた兼ね合いなんですかね、とこたえた。
広告すべきはその商品やサービスであって、それのいいところをどうやったら伝えることができるかには知恵をしぼるけど、自分をそこに出したりはしませんよね、たぶん。
そう、自分っていうのは邪魔なんだ。
意思、というか自意識というか、自分は何者であるという説明が必要な場面なんかは今でもとっても苦手。だけど、自分はどう見られたっていいと思うから、どんな扮装をして人前に出てもぜんぜん恥ずかしくない。
スナリ、という屋号の意味についてもよく尋ねられる。
バリ島にスナリという楽器がありましてね、それはでっかい竹の先に穴をあけて、地面に突っ立てただけの楽器なんですけど、風が吹くとヒョォ〜と鳴るんです。目に見えないものをキャッチして奏でる、というのが、なんとなく私の生業かと思いまして、
などとこたえている。
そう、わたしは竹竿なんだ。
中身からっぽなんだ。
「へえ!」「すごい!」「おもしろい!」
そういうものが吹き抜けていったときにだけ、音を出せる。
同調するその瞬間が、たまらなく気持ちがいいんだよなぁ。
内と外との、知ってるものと知らないものとの、そういう境目が消えてなくなる瞬間こそが、生きている実感のような気がする。
考えてみたら温泉もそうだ。
地面の底から湧いてあふれたものに素っ裸でつかるの大好き。
体温に近い湯に鼻の下までつかっていると、自分と外との境界が限りなく曖昧になり、身体がほどけて湯に溶け出していくような気がする。
このままなくなってもいいとさえ思う。
服は着ているが茶を飲む時もそうだ。
湯気がたち、香りがたち、気持ちがほころんで、ため息をついて、その場の人々がどんどん溶け出していく。
そういう幸せな瞬間にたくさん立ち会いたいと思う。
昔から、いままでずっと、「自分の夢」みたいなものがとくになくて、そして夢がないことがコンプレックスだったりしたんだけど、べつにどうだっていいんだと今は思える。
わたしはからっぽな竹竿で、
風が吹かないとただの竿。
でもこの竹竿には足がついてるので、いい風が吹きそうな所に自分から行くことができる。
スナリは素也。
いつもいい「からっぽ」で、いい風をつかまえていたいと
あらためて思った3月であった。
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