やりすぎでちょうどいいくらい
先日、洋菓子をつくる人が、「和菓子にもとても興味あるんです、つくってみたいとも思う。でも、あれだけの伝統がある世界、なかなか・・・」
と言っていた。
たしかに和菓子、とくに茶席菓子なんか、あの美しい姿や餡子に何百年も受け継がれたいろんなものがぎゅっと詰まっているようで、新参者がおいそれと手出しできるようなジャンルではないよね。なるほどねー。
と、言いつつもなんか違和感があった。
帰宅してしみじみ考えるに、「伝統の前には太刀打ちできない」というのは、もっともらしいけど、ちがうなと思うに至った。
わたしのお茶のお師匠は、茶事で茶を振舞うだけでなく、自作の菓子や料理を出したいと、茶席菓子や懐石料理の勉強もされている。
で、お稽古でその恩恵にあずかるというか、「つくってみたの、召し上がれ」とぴかぴかのお菓子を出していただくのだ。わーい。
それが、ものすごく美味しい。
それは、「お師匠の愛情がこもってるから」とかいう心情的な話ではない。実際旨い。
豆や砂糖や粉がいいから。小豆を丁寧に炊いて、何度もさらして漉して、手間をかけて作るから。保存や衛生のための添加物が入ってないから。作りたてほやほやをいただくから。
「こんなの、商売あがったりよ(笑)」
そう、これを商売にしたら到底割が合わない。
だけど、伝統の、老舗の、そういうものに太刀打ちするには、「割が合わない」ところでしか勝負できないんじゃないかと思った。
お菓子の世界だけじゃないと思う。
なにかに新規参入するならば、「やりすぎ」じゃないと、既存のものに勝てない。
・・・・とか書くと、ビジネス書みたいな感じでいやね。
温泉茶は「あなたサービスしすぎよ!」といつも怒られる。いいお茶で、いいお菓子で、しゃべり過ぎで、やりすぎだ。
身銭切って、損をして、なんのためにやってるわけ?
阿呆は儲け方を知らない。
ただ、やりすぎくらいじゃないと、ちょっとやそっとじゃ、人はこっちを向いてくれないことはたしかだと思うのだ。
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