人生にサイエンスがあれば
今年ももうすぐ終わります。
振り返ってみて、思い出されることはたくさんありますが、今年中に書いておきたかったので。
11/16(土)の広島大学理学研究科サイエンスカフェ。
「秋 〜くだものの科学〜」
どのサイエンスカフェも分野も内容も違うから、門前の文系小僧は大変なんですけど、毎度とっても楽しみな仕事なのです。
そのなかでも、この11月のサイエンスカフェはちょっと特別だった。
スピーカーの泉先生を囲んでのリハーサル。
「さて、柿とりんご、実がなるところは同じ部位か、ちがうか。ここ、調べて説明してね」
生物専攻のTさんに無茶振り。「・・・調べときます・・・」(当日はTさんが参加できずSさんピンチヒッター。とっても上手に説明してくれました)
「ということで、Iさん、ベークライトの合成実験、説明しながらやってね」
「・・・・はい・・・・」
今度は化学専攻のIさんに無茶振りだ。 本番まで1週間ちょっとだけどがんばれ。
さて当日。
白衣を着たIさんの手もと資料にはびっしりと書き込みがあった。たくさん考えて準備したのでしょう。
理学融合センターから会場のマーメイドカフェへの移動中、泉先生に聞いておかなくてはいけないことがあった。
「先生、あの、ご病気のこと、みなさんにお話ししますか」
「はい、そうしたいと思います。」
泉先生は、ちょうど1年ほど前、ご病気で倒れられたのだった。
お見舞いに行った時のことをよく覚えている。(そのときの様子はこちら)
ベッドに横になったままの泉先生。それでもノートパソコンを開いて見せていろいろ話して聞かせてくれた。言葉にならずもどかしく、心拍が高ぶって側の機械からアラームが鳴った。
「あのとき、寺田先生の娘さんがお見舞いに来てくれて、
泉先生、また元気になってはやくサイエンスカフェやってくださいねって。
今日サイエンスカフェやろうと思ったのは、彼女がそう言ってくれたからなんです。」
そうでしたか・・・
あれから1年。今日は泉先生の復帰戦だ。
ふさわしい好日。ちょっと泣きそうだったが、泣いてる場合じゃないこれから本番だ。
それにしても今回は学生さんたちの活躍が目覚ましかった。
実験器具の準備、段取り、スマートな動き。
説明も上手にできた。実験もがんばった。
みんなで赤と青の手袋をはめて手をつなぎ、「蜂にさされたら渋柿を塗るといい」という民間療法の科学的理由の説明をするシーンはとってもわかりやすかった。
ここから、分野を越えた学生さんたち同士の集いにまで発展していった。サイエンスカフェの功名であります。
来場者の方々からは活発に質問が出たし、リアクションも大きくて楽しそうだった。
そして泉先生は病気だったと話さないとわからないくらいだった。
高橋先生も 中田先生も 小林先生も復帰戦を見に来られた。
「ぜんぜん大丈夫やったやん」と。みんなにこにこ見ていた。
糖にあるアルデヒドってやつが危険なんですよね、という話から、
「それを知っていながら自分が病気をしてしまいました。」と。
入院中にお見舞いに来てくださった先生方とディスカッションしたこと。
分野の違う先生たちと話すことがとても刺激的だったこと。
リハビリとして看護士さんたちに講義をしていたこと。
看護士さんたちに先生教えて、あれはどういうことなんですかと頼りにされたこと。
待合室にあった雑誌をたまたま見て、そこに書いてあることがウソだと思ったことから、大学病院と共同で今論文書いているところです、と。
「病気しなかったら、そんなことにはなっていませんでした。」
生死をさまよっていたころから1年。泉先生の原動力はサイエンスだった。
転んでもタダでは起きない、むしろ倍返しの科学者魂。
今回はくだものの科学だけじゃなくて、人生の科学を学んだ気がします。
ありがとうございました。
物理、化学、生物、地球惑星、宇宙・・・まったく興味も縁もなかったわたしの人生が、こうしてサイエンスに寄り添うご縁をいただいた。
だからといって科学的知識や造詣に深くなったわけじゃないけど、「知らない」んだということを知れた。新しい目が開いた。
インチキ、デマ、誤解、まやかし、
不安や無知の心のすき間に入ってくる闇を払えるように、人生にサイエンスが必要だと思う。
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