沈めていた怒りを海に流そう
わたしの何回目かの誕生日の日、国会では「強行採決」が行われた。
まさか、国土を火の海にしたい首相がいるわけがないと思うのだが
この人が目指してるのは一体なんなのか
戦争法案だ 平和法案だと
立場が違えば言葉もちがうその中身を
よくよく見て知りたいと耳を澄ましていた。
あいまいでわかりにくく気持ちが悪い言葉を話す首相もいやだけど、
首相の全人格を否定して醜い言葉でののしる人たちもいやだ。
注視すべしとアラームが鳴りつづける。
そうこうしてると、東京オリンピックのメインスタジアムとなる国立競技場について
「現在の計画を白紙に戻し、ゼロベースで見直す決断をした」
と首相が発表した。
多額の税金を投入するこの建設案への国民の批判に耳を傾けました!
と誇らしげに発表した。
わたしの中で、得体の知れない「怒り」がわいた。
それは、自分でも意外で、戸惑うほど強い怒りだった。
そして今日、東京オリンピックのエンブレムがよその国の劇場ロゴのパクリではないかと報じられているのを見た。
新聞ニュースネット記事、むらがって感想を述べ合う人たち
読めば読むほど、気持ちが悪いほど怒りが強くなっていった。
のほほんと茶を淹れて暮らしている自分に
まだこんな強い怒りがあったことに驚いたし
自分は一体何に怒っているのだろうと怪しんだ。
胸に手をあてて考えた。
競技場の建設のデザイン、コンペを経て、いろんな人が関わってきたはずだ。
コンペに参加して落選したチームもある。
徹夜で仕上げた案が屍になって、報われない思いをした人もいるんだろう。
決まったからには、いろんな人たちがチームになって
今まで仕事をすすめてきたはずだ。
なかには、無責任で無自覚な人もいたかもしれないが
東京オリンピックを華々しく成功させたいと、
調整に奔走してきた人たちの時間と労力もすべて無になった。
生き霊になってとりついてやりたいくらい悔しい思いをしてる人もいるはずだ。
デザインがパクリだとか、こんな大仕事でパクるわけないじゃろが。
偉大な先輩デザイナーが作った過去の東京オリンピックのロゴ
それにデザインで応える、真剣に、全身全霊で生み出したはずだ。
たったひとつのかたちを考え出すのに、生活の全部をつかって、
脳みそから血が出るほど考える
そういう作業が綿々とあったはずだ。
そういうのを
「生牡蠣みたいできらい」とか
「パクリありえない、説明もなくツイッターアカウント削除まじ逃亡」とか
匿名で(生牡蠣発言はおそろしくも元首相だけど)
きがるに
ふみにじって
国のやること反対アベ反対みたいなのにつなげて
ディスるやつらなんか
みんな猫にひかれろ
というのが怒りの元だった。
わたしには関係ない話なのに
心の闇に沈めていて忘れたふりをしていた怒りを呼び覚ましてしまった。
かつてそれで、自分自身が死ぬほど悔しい思いをした
生き霊になって呪ってやりたい思いをした
そこに共鳴したらしい。
こういうのはやっかいだ
政治問題にきちんと向き合って考えて意見を述べている
そういう正当性であっさり容認されてしまう「怒り」だ。
怒っている自分自身をだます怒りだ。
決まった案に文句を言ってるやつもそうだ。
誰からも選ばれてこなかった鬱憤をネット上にばらまいて
怒りを増幅してほくそ笑んでいるのだ。
怒りは
そういうしくみだ
それが、どういう理由をともなって現れるかはあまり重要ではない
ああ、わたしは「怒りたい」んだ。
成仏できなかった怒りを燃やしたいんだ。
そういうものがまだまだ、自分の闇のなかに息をころしていると思うと怖い。
憎しみや
悲しみや
そういうのも
闇のなかで呼ばれるのを待っている。
恐ろしいのは戦争法案じゃなくて
そういう心のしくみなんじゃないかと思う。
アラームが鳴りつづけている。
世の中に耳を澄ましながら、
自分のなかの闇を監視せよ。
今回燃やした怒りは、この夏、海に流してやろうと思う。
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