余情残心
このたび「茶花」を習い始めました。
先日お茶の稽古で「花寄せ」をした。
床にいろんなかたちの花入れ(花器ね)が並べてあり、各自順繰りに花台に盛ってある草花から花を選び、決めた花入れに向かい入れて戻る。
と書くと簡単だが、見るとやるとではじぇんじぇん違った。
あの花入れにしようとめどをつけ、花の前に行くとさて、どの花が似合うのか、何種類入れるのか、長いぞ、からまっとるぞ、どないしよ、
とばさばさ迷っていると
「花が痛みます」
とおこられた。
えいやと決めて持って行くが高さがおかしい。似合わない。バランスおかしい。
これほどできないとは思わなかった・・・情けなさすぎる・・・
他の組のお稽古では、若い人が多くて、ひょいひょいと生けた花が、
「これが素直に入りましてね、とってもよかったんです。わたしなんかには思いもつかない花を選んで、でも、よかったんですねぇ」と先生も感心しておられた。
無心の勝利。ビギナーズラック。
わたしもビギナーズなんだが無心が汚れちまってた。
上手く入れようというヤラシイ心で曇ってた。ああ・・・
もう初心に戻れないとしたら、あとは鍛錬して技と見る目を磨き、無心を取り戻すしかないのではないか。
ということで、「茶花」入門に至った。
さて初日。
このトシでルールもマナーも不案内な場所にお邪魔するのはモジモジしますね。
持参した花入れは実家から借りて来た 「銅蟲」。
「ああ、これは・・・“行”の花にしましょう。」
茶花にはそのフォーマル度に「真」「行」「草」がある。
この時期は「名残の花」
風炉の時期もそろそろ終わり、草花もお仕舞いとなる。
来月11月は開炉で木のものを使う。
だから、ちょっと枯れたり色づいたりしたいろんな秋の草を、何種かわさっと使うのだそうだ。
それは籠などに生けて「草」の花。
用意された花は、すすき、あわこがねぎく、ほととぎす、りんどう、われもこう。
しかしわたしの花入れは「行」をいけるので、「根締め」のりんどうと「あしらい」のほととぎすのみ使用。
「ほととぎすもね、こんなシャンデリアみたいなつぼみは落としましょうね」
先生迷いなく花に鋏を入れる。
りんどうも中程からぱっつん。
「あらーーー・・・」
「初めての方は花がかわいそうっておっしゃるのよね」「はいー・・・」
「葉っぱは奇数ね。この花も落としましょう。」
ほぼ先生作。それがこちら。
先輩が「スーパーモデルのような花が入ったわね」とおっしゃった。
それにしても、ばんばん花を落としていくのが衝撃だった。
最後に各自自分の入れた花について発表し先生に講評していただく。
「それにしても、こうやって美しさをつくり込んでいくんだなあと驚きました。」
と言うと、
「つくるんじゃないんですよ、思いを込めるんです。」と。
花は野に咲くように、と利休さんも言っていたが、野に咲いているそのままを生けても美しくはない。野に咲いている時の生命の輝きを、床にどう再現させるか。花の美しいところをどう生かすのか。
「そういうきりつめた美しさを求めて、心をこめて花に向かうのです。」
なるほど・・・・
無心にはほど遠い気がしました・・・
先輩諸姉は「まあその葉がうつくしいわね」「そうなのこれが活かしたくて・・・」
「うつくしいものを見てると時を忘れるわね。」
うつくしいものを、ちゃんと見ないとなぁ。
ということで自宅には、使わず持ち帰った花が、もったいなくて枝も花も落とさないまま花瓶にわさーっと入って秋の終わりを告げております。
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