楽しい勉強【日本・中国・台湾の茶】

2013年9月30日 (月)

お茶の「教室」、はじめます。

 10月から、お茶の「教室」をはじめることになりました。
 
 今もNHKカルチャーセンター広島教室で「おいしく淹れよう中国茶」というお教室を持たせていただいています。

 が、話していると「中国茶」に収まりきれないのだった。

 お茶のルーツは中国雲南省の熱帯雨林だと聞いています。
 そこから何千年も愛され続けて、日本や台湾やいろんな国に渡って進化して来たお茶。
 歴史を追っても、種類を追っても、とうてい生きてるうちに追いつけそうにない。
 そんなのびのび広いお茶を、「中国茶」「日本茶」と分けて狭くしてもしかたない。
 あっちにいったりこっちに来たりして、自由に楽しんだらいいと思っています。

 だから、「中国茶教室」でも「煎茶教室」でもなく、「喫茶教室」。
 茶を喫する楽しさを、体感していただけたらなと。

 目標は、「ご自分で、家族や友人にうまい茶を振舞えるようになる」です。
 
 お茶を淹れることなんか、かんたん。お茶の葉に湯を注いでだすだけです。
 ちょっとしたコツとか、なるほど納得、というポイントを知れば
 自由自在にお茶が淹れられる(はず)

 とりあえず、年内5回で1クール。
 中国、台湾、日本の茶を駆け足で知って、淹れ方を学ぶコースにしたいと思っています。

 そうやって中身を考えると、広大すぎて「中国茶」とか狭く区切る理由が身にしみてわかるのだった・・・無茶だよあんた、5回完結なんて・・・

 5回、全部内容が違います。参加できる会だけの参加も大丈夫です。
 場所は、いつも「話す温泉♨いい茶だな」でお世話になってる「GENERAL STORE 8 4」さんにて。

 詳しくはこちらをご覧ください。(さらに詳細も随時更新予定)
 「温泉茶の喫茶教室と喫茶室、はじめます」

 お問い合わせはお気軽に!
 メール: info@onsencha.com

 お待ちしております。

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2013年2月27日 (水)

器でかわる

 先日のNHKカルチャーセンター「おいしく淹れよう中国茶」は、
 「器による味のちがい」というテーマでやりました。

 「器は茶の父なり」 (茶の母は水だろうか)
 茶を美味しく淹れるためには、茶器の選択が大事といわれています。

 中国茶を淹れる器といえば、「宜興茶壷」ですね。
 紫砂とか朱泥といった、鉄分を多く含む土から焼かれた「炻器」(せっき。陶器と磁器の中間的な性質を持つ)です。
 こういうやつですね。
 
Photo

 この紫砂の茶壷がお茶をおいしくするのは、胎土に細かい孔があって、そこに雑味成分を吸収するから。また、吸収した香り成分を放出するため味わいに厚みが出る、あるいは、味わいが持続するとも言われております。
 そのかわり、この茶壺はこのお茶専用、と決めたほうがよいとも聞きますね。高山茶用、岩茶用、鉄漢音用、鳳凰単叢用・・・たくさんいるじゃないか(嬉々)
 そうやってこのお茶にはこの子、と使い分けるのも楽しみのひとつなのでしょう。

 一方、磁器の茶器は表面がガラス質なので、匂いも吸収したりしない。ハイターにつけて茶渋とってもOK。なので、1つあればどんな種類のお茶でも淹れられる万能茶器、と言われてます。


 ほんまかいな。


 ものの本にはたいていそう書いてあるし、そんなもんかなと思ってそうしてるけど、改めて考えると、どうなのかなという思いが頭をもたげる。

 ほんじゃ実験してみましょう。

 「せんせ、理系?」
 いえー・・・ばりばりの文系です・・・ 
 でも、やってみないとわからないですもんね。


 まずは、台湾高山茶(梨山、海抜2200m)。

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 左が、台湾の作家さんの紫砂茶壺。裏に「辛巳」とあるから、もう12年のつきあいか。
 右は磁器の茶器。ほんとは煎茶点前用です。

 湯の量も、茶の量もほぼ一緒、
 湯をそそぎ、タイミングを見計らって同時に茶海に注ぎ出します。
 両手で、2丁拳銃状態。

 「はぁ〜〜いい香り!」

 見た所、右の磁器のほうが水色(茶の色)がうすい。
 飲み比べても、右の方が味も香りもうすい。
 その理由は1煎目を淹れたときにわかっていました。
 右の方が早く注ぎきれる。
 左の紫砂茶壺は、細く長く注がれる、つまり、茶の葉が湯につかってる時間が右よりもすこし長いのです。

 3煎目は、右の方を若干長く間合いをとり、水色を同じに淹れてみました。

 「あらぁ、」
 「色は同じなのに、味がちがうわぁ」
 「ほんと、なんか磁器の方が浅いというか・・・」
 「ねぇ、香りもちがう」

 いやぁ、ここまで違うとは思わなかった。
 なんというか、二つがぜんぜん違うお茶のようだった。
 やっぱり紫砂茶壺で淹れた方がうまいのよ。

 「せんせ、やっぱりわたし紫砂茶壺買おう!
 ここまで違うんなら、ほしいわー」
 ねぇ、びっくりです。

 まてまて、焙煎の浅い、高音のような味香りの高山茶はそうかもしれないが、
 岩茶ならどうか。


Img_3210

 左は、大陸の朱泥茶壺。岩茶とか鳳凰単叢を淹れるのに使っています。
 右は磁器の茶壺。
 淹れるのは岩茶、極品肉桂。

 さきほどと同じ要領で淹れてみます。
 今度はほぼ、注ぎきるスピードも同じ。

 なのに、水色こんどは磁器の茶壺のほうが濃いのです。

 「あら、なんだか磁器の方が苦みがつよいわぁ」
 「ほんと、でも美味しい〜」
 「これ、別々に出されたらどっちも美味しいわぁ」
 「シナモンって感じはしないけどねぇ」
 「いやぁ、おいしいわぁ」

 ほんとに美味しいお茶だったので、何で淹れてもうまかった。
 でも、やっぱりちがうんですなぁ。

 磁器の茶壺は、いいとこも悪いとこも味も香りもぜんぶまっすぐに出す感じ。
 朱泥のほうは、まあるく入る感じ。

 たとえば、香りが命の鳳凰単叢なんか淹れる時には、好みが分かれるだろうなと思う。
 


 蓋碗という茶器もある。素材は磁器が多い。

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 これはまた、茶壺とは淹れる感覚がぜんぜんちがうものだと思う。

 湯を注いだら、蓋をとって中の水色を見る。
 刻々と、抽出され色が変わっていく。
 ほんとに、数秒のちがいで味が香りが変わる。
 さらには、湯の注ぎ方、蓋碗の倒し方(出し方)でも変わる。

 目指す味に淹れようと2煎、3煎と淹れるがうまくいかず、
 先生が代わり、そこにそーっと湯を落とすと、まるでちがう茶のように入った、
 あのアメージングな感覚が残っている。
 難しいとも言えるし、自由自在に淹れることができるとも言える。

 ここには紫砂とか磁器とか、そういうこととは違う
 ひとつの技があるように思う。
 自分の思う「うまい」を確実に淹れるのはこちらなんだろうなぁ。
 
 でもわたしは、何度も湯をくぐった紫砂や朱泥の茶器を
 なでたりさすったりするのが好きなのだ。
 うまさって、そういう愛しさも含みますよね。

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2012年5月26日 (土)

「堅苦しい作法」もどうか

 今日のNHK中国茶の教室も和気あいあいだった。ありがたや。

 「先生、このお茶、どうやって飲んだらよろしいの?」

 初めのうちはどなたも小さい茶杯の扱いに戸惑われる。

 「まあ、決まりはないんですけどね、」
 中指、人差し指、親指の3本の指でこう、龍の爪のように持って飲まれるとかっこいいかと。
 までも片手じゃ下品だわとおっしゃるなら三三九度のように手を添えられても。

 「そうよねぇ、中国茶は堅苦しくなくっていいわよねぇ」
 「ややこしい作法もないんでしょ? 楽しくていいわねぇ」

 そうですよねぇ・・・ははは

 ・・・でもですね、

 といいかけてやめた。うまく言葉にならなかったし、次の話題に進まねばならなかった。

 たしかに中国茶には日本の茶の湯のような型というか作法はない。
 もちろん「工夫茶」とか「茶藝」とかいうカテゴリーもあって、手のホームポジションはこうで、蓋はここに置き、このように湯を注ぎ、という一連の決めごともある。日本の茶の湯に匹敵するような「中国茶道」みたいな茶藝もあると聞く。
 
 でも、そのような形式で茶席が仕立てられるのは中国でも限られた場所だそうで、暮しに密着したお茶はもっと気楽にがぶがぶ飲まれているようだ。

 気楽だから中国茶が好きなのかというと、まあ、そういう面もないわけではないが、そればっかりでもない。

 お茶はなんでも好きだ。日本産でも中国産でも台湾産でも印度産でも、その茶の樹がそこの水と空気を吸って吐いて育ったぴかぴかの新芽なんだなぁと思うと、とても愛しい。
 どれもそれぞれの美味しさがあるし。

 ただ、煎茶・紅茶はせいぜい3煎まで。薄茶も2杯くらいが限度かな。長らく語り合うような場面では、何煎も味と香りが続く中国茶がとてもいい。話して乾いた喉を、甘く香る茶で潤しながらまた話す。しあわせな対話が続く。

 だから、「話す温泉♨いい茶だな」では中国や台湾の茶をお出しすることが多い。


 茶の湯に関しては、まだまだ入門者でたいそうなことはわからない。
 いまだに茶碗の持ち方がおぼつかなかったり、順序をぽっかり忘れてしまったり、とてもじゃないが亭主と客のコール&レスポンスを楽しむような水準に達しない。

 だけど、あのややこしそうな作法や決まり事は、なかなかどうして、非常によくできてるなぁと思うのだ。偉そうに。

 あれは、イチローが毎打席繰り返す儀式的動作のように、心を鎮めて美味しい茶が点てられるよう考えられた動きだと思う。

 そして美しい所作で点てられる様子を見ていると、ミラーニューロンが刺激されるのかどうだか知らないが、すーっとその動きに吸い込まれるような気がする。すごいシンクロ感。気持ちいい。
 
 床の飾り物や道具のしつらいを拝見し、一瞬でその日の亭主のメッセージを読み取るという非言語のコミュニケーションも茶の湯の醍醐味だ。
 それは相当高度なもので、書や花や道具や、その本歌となる様々な歌や故事、ともかく非常に広い広い知識が必要となる。わからなけらば、読み取れない。それはとってももったいない。

 一杯の茶碗に宇宙があるという。
 茶を知ろうとすることは、宇宙を知ろうとすること。キリがありません。一生勉強。
 (だからお茶人は長生きお達者な先輩が多いのだろうか。まさに「茶是長寿友」)
 
 あれ、なんの話でしたっけ?

 堅苦しい作法はめんどくさい、という話でしたよね。

 堅苦しい作法も、どうか、食わず嫌いせずにはまってみていただきたい。
 数百年の時間の流れの中で、脈々と伝わってきた「究極の遊び」。
 死ぬまでに、一味同心、シンクロして新しい世界を覗けるような茶事を体感できるかなぁ。
 それを楽しみに、日々シャカシャカ。


 なーんてことを話しながら、小さい茶壺で天に通じるような香り高いお茶を淹れたいものです。
 

 
 

 

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2012年5月17日 (木)

茶海はなぜ海なのか

 4月から、中国茶を人様にお教えするということになったスナリであります。

 その、第一回目の教室では「道具を知りましょう」というテーマでお話をした。

 かつて、いろんな「先生」方がわたしに教えてくださったように、中国茶の「ちゅ」の字も知らなかった自分がどういう順番で「へー!」と思ったか思い出しながら、カリキュラムを組んだ。

 まずは何事もかたちから入るタイプなので、道具にはまったよね。

 中国茶の道具は、まるでままごとのように可愛い。小さい茶杯、実用的とは思えない急須、何に使うのかわからない道具がいろいろ。
 そういう可愛い道具を所有して愛でる喜びは、お茶愛の中でもかなりのウエイトを占める部分ではなかろうか。

 しかし実を言うと当初、極彩色の桃や金魚が描かれていたりする、いわゆる中国茶器にはそんなに興味が持てなかった。なにもそこまで中華風味じゃなくてもいいじゃないかと。

 そんな時、「魅力発見 中国茶」(文化出版局編)という本に出会いウロコが何枚か落ちた。

 のびのびと、自由な道具組。中国茶専用茶器にとわられず、西洋のアンティークのもの、日本の煎茶道具、古いもの、新しいもの、ただただ美しく取り合わせてあった。
 そしてその扉を開くと
 「中国茶を楽しむ人が増え、教室もあちこちにできました。
  でもルールにとらわれすぎて、気楽に楽しめないのはつまらない。
  指の曲げ方は、手の角度は、茶葉は何グラム、抽出時間は・・・・
  日本の茶道もそうですが、喫茶の本質は遊び。
  まじめに学ぶだけじゃなく、遊び心で
  もっともっとお茶を楽しみましょう。・・・」
 とあった。
 しびれた。ずっぷりはまった。

 それから古道具屋さんで埃まみれの皿を指でこすりこすり見つけたり、お小遣いでちょろちょろ楽しく集めた茶道具たちが、今も現役で湯気を立てている。

 そういう道楽話はさておき、まずは基本を押さえて、と。
 中国茶を淹れるのに使う道具の名前を紹介することにする。
 日頃あんまり見たことのないものもありますしね。
 レジュメを作りながら次々と疑問がわいてくる。
 当然知ってると思っていたが、案外「なんで?」と思うことがたくさんあってびっくりする。

 「茶海(ちゃかい)」というものがある。

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 これがその「茶海」。「公道杯」とも言う。
 別に専用のものでなくても、ミルクピッチャーでも、片口でも用が足りる。

 何に使うかというと、茶壺(チャフー、急須のことですね)から茶をまずここに一旦全部注いでしまう。それから各々の茶杯に注ぐと濃さが均一になる。
 とされているが、別に茶杯をぐるぐる巡るように注げば濃さは均一になるので使わなくてはいけないものでもない。
 ただ、茶杯が小さいので、茶壺に対して2人だけとか独りでという場合茶壺に茶が残るとまずい。注ぎきっておきたい。あるいは大人数の茶会で小さい茶壺の1煎目と2煎目をブレンドして提供するときなどとっても便利、というもの。

 それが、「茶海」というものだと納得していた。

 ・・・なんで「海」?

 その他の道具に、「茶船(ちゃふね)」というものもある。

 茶壺を載せる皿や水盤で、茶壺を温めるために上からかける湯を受けるもの。

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 ちょっと小さいですけどこういう感じ。

 海より船の方が大きいんですよ。 なんで?

 どうして「海」という名がついたのか。

 結局調べ当たらなかった。


 先日の煎茶のお稽古のとき、師匠にその話をした。

 「どうしてかしらねー。茶の湯では一椀の中に宇宙があるって考えるから、あの器の中に海をつかまえたって例えたのかしらね。」

 そういえば茶の湯の道具に「大海」というのもありますね。平べったくて口の広い茶入れで、口が狭いのを「中海」というのだそうです。

 おお、海を手中に! で、注ぎ分けちゃうのね。
 いいですねぇ。

 そして、生命の起源である海を飲み干しちゃう。

 「茶は長寿の友」
 という言葉が浮かぶ。 これぞ養生。

 きっと正解というか、定説があるんだろう。知らないだけで。

 でも正しいことなんかあんまりどっちでもいいや。

 黄金色の小さな海を注ぎわけたら、茶杯に満月が浮かぶ。
 手の中の月を眺めて、異界から漂う香りに胸を一杯にして
 そういう無辺大のくだらない話をしながら
 身心を潤す茶が飲めたらそれでいいと思う。
 
 


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