行って見てきた

2012年11月25日 (日)

瀬戸内生活工芸祭を見てきた

 11/23,24と四国高松で開催された
 「瀬戸内生活工芸祭2012」を見に行ってきました。

 全国から公募で選ばれた87組の工芸作家さんが、玉藻公園にブースを出店販売。
 有名作家などの選考委員によるブースも並び、香川県のうまいもんと音楽が楽しめるマルシェもオープン。
 公園内の披雲閣と、フェリーに乗って約20分で行き来できる女木島では、5人の招待作家による「生活工芸5つのかたち」の展示も行われていた。


 こういうクラフト展に来るのは初めて。
 心がけたことは、「事前にいろいろ調べまい」ということだった。
 作家さんの今までの作品や活動といったバックグラウンドを知れば、興味も湧くしもっと知りたくなる。
 が、それが心を曇らせることもある。
 なんせ広大な敷地にずらーっとブースが並んでる。
 とにかく端から、
 ただ見て、触って、
 いいか、好きかだけ自分に問うように見ていった。

 「作家たちは、工房でコツコツと手を動かして、
  1年を過ごします。
  だから、ひとつのお椀を手に取ることは、
  作り手の1年と出会うこと。」(パンフレットの言葉より)

 そうですね、作家さんたちは、自分がいいと思うものを丹誠込めて作るんだ。
 だから、1軒1軒、真剣に見た。
 わたしにはよいと思えないもの、素敵と思うもの、
 その感じ方は万人で違う。
 大勢の人たちがブースを回り、手にとり、作家さんと話し、歓声をあげ、頷き、
 ほんとにお祭りだと思った。
 作家さんも、遠来の、なじみの、はじめての、いろんなお客さんと話をしたり、知り合い同士で差し入れをしたり、お祭りを楽しんでおられるようだった。

 あ、いいなと思うものに「売れるなよ」と念を送り、
 ひとまず会場をぐるっとまわり、戻ってみるともう売れちゃってたものもたくさんあった。
 そういうのとは、ご縁がなかったのよね。
 ご縁があって、待っていてくれた子をいくつかつれて帰った。げっしっし。


 ■


 小雨そぼふる会場に、ひときわ異様なひとだかりがあった。
 なになに?ぜんぜん見えない。

 そこは選考委員ブースで、
 あの「ミナ ペルホネン」のグッズ販売コーナーだった。
 しかも、皆川明氏ご本人が、そこで自ら手売りされていたのであった。
 みんな声には出さないけど、「きゃ〜〜〜〜!」と黄色い声がしていた。
 群衆の頭上にはちょうちょが乱舞していた(ように見えました)

 人ごみをかき分けようとしたが熱意が足らず商品見れず。
 皆川氏から買った商品を受け取るお客さんはみな、少女のように上気したいいお顔だった。

 なんというか、ライブだった。
 ミナー!ミナー!という歓声に応えるように、皆川氏は輝くような笑顔で殺到するお客さんに商品を手渡し続けていた。
 まさに、服飾アイドル。
 そりゃお客さんはうれしいよねぇ。
 十分に、自分の作品や自分を好きな人がいると分かり、自信があり、それに応えることができるアイドルのありようは、正しいと思った。


 それにひきかえ、というとおこられそうだけど、
 著名な作家さんの中には、とっても所在なさそうな方もいらした。

 あ!○○さんだ、と来場者はみなぴーんとわかる。
 が、「○○さんですよね!」キャー、と話しかける人はあんまりいない。
 気づいていながら、遠巻きにちらちら見て、とくに話しかけない。
 恐れ多くて、なにを話したらいいのか分からないって感じだろうか。
 あれ?なんで俺に気づかないわけ?話しかけないわけ?
 と思ってらっしゃるかどうかは存じ上げないが、
 プライドとさみしさと照れとめんどくささがないまぜになったような、
 無愛想な大人を見るのはせつない。
 
 自信のなさと凶暴な自意識があばれ、そういうものを必死に押さえつけるような沈黙が似合うのはせいぜい20代くらいまでじゃないだろうか。

 なんか、中年はほがらかであるべきだ。

 ただでさえ、肌は衰え、無表情ぎみになり、ホウレイ線や眉間のしわが深く刻まれた顔は険しい。
 それを豊かに変えてみせるのは 
 笑顔や愛想じゃないかと思う。自戒をこめて強く思う。


 いや、作家は語る必要なんかない、作品が語るのだ、
 というご意見もあろうかと思う。

 どっちだっていい。
 ただ、多くのブースを巡り作品を手にとり、一番印象に残ったのは作家さんのたたずまいやお人柄だった。わたしは、そういうところを見ていた。

 雨がばらばらと降りだし、あわてて作品を雨のあたらないところに動かす方が多い中、
 降るならふれ、濡れればぬれろ、それが器だ、とばかりにほったらかし、
 奥でおにぎりを頬張っておられた作家さんはかっこよかった。
 雨にぬれた器は野性を取り戻し、美しかった。

 ベーシストは曲のベースラインをなぞるように聞くらしい。
 鍛冶屋さんは溶接部分に目を凝らし、
 木工作家さんは木肌をなでるだろう。
 
 それぞれの見たいものを見る、それが参加した人たちのご褒美なのでしょう。


 ■


 ある作家さんの白木の重箱の蓋をとってもらうと中が黒漆だった。
 美しかった。
 
 「この木は使い込むと灰色に変わっていくんです。
  買ってもらったお客さんに、10年後に見せてもらいたいなぁ、と思うんです。」

 作家さんは、嫁に行ったあとの自分の作品を想うのだなぁ。

 どう使われ、どうなっているのか、

 大切に使われていけば、人より長生きして時代を超えていくもの。

 それがどうなっていくのか、ずっと見てみたいと思う、
 作家の魂の遠さ、みたいなものを思った。

 その作品は作家の魂の分身で、
 人の暮らしに役立ったり、
 美しく彩ったりしながら使われ、
 使われ続け
 それをいったい誰が作ったのか分からなくなっても、
 巡り巡って手にした誰かをまた歓ばせ、
 言葉のいらない対話をするのだろう。

 
 わたしの手の中にやってきたいくつかの道具を
 あたたかいものとして愛そうと思いました。


 四国高松、うどんもうまかった。
 しあわせな2日間でした。


 

 
  

 

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2012年11月13日 (火)

益川先生のお話

 10/25(木)、広島大学講演会@サタケメモリアルホール
 「現代社会と科学」
 益川敏秀博士(2008年ノーベル物理学賞受賞)

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 たまたま、打ち合わせで広大におり、これから始まるというタイミングだったので、行って聞いてきました。とつぶやいたら、いいなぁ、聞き逃した残念、という反応がたくさんかえってきたので、手元にあるメモをアップしておきます。

 生きてるノーベル物理学賞受賞者を一目見ようと、サタケホールはほぼ満員でした。
 粗相があってはいけないという主催者一同緊張のなか、講演会ははじまりました。
 満場の客もしーーーーーん。

 モデレーター(進行役)は広島大学学長室特任教授 観山正見氏。国立天文台台長だった方だそうだ。

 観山氏が口火を切る。
 「これがノーベル賞受賞の時のお写真ですけど、先生ずいぶんいばってますね。」
 「これはね、いばってるんじゃなくて、おこってるの。」
 なんでも、マスコミの対応にご立腹だったとかで
 「ぼくはね、江戸っ子であったことはないけど、はらがたつと、べらんめぇになる。」

 くすくす・・・(あれ、おもしろいぞ)

 「先生そのノーベル賞のメダルは今どこにあるんですか?」
 「・・・どこだろう?押し入れに放り込んであるのかな。
  別にね、メダルに価値があるわけじゃないんだから、
  なくしたってわかったら怒られるでしょうけど、だまってりゃいいんです。」

 このあたりで会場は一挙にほぐれる。わっと笑いが起こる。
 観山氏はかつて益川先生の教え子だったことがあるそうで、益川先生の人となりをよくご存知だから、こんなに見事にほぐしてしまったんだろうと思うけど、それにしても司会ぶりがお見事だった。
 
 会場の1/3は文系の人もいたので、そういう方にも分かりやすく、どういう経緯でノーベル物理学賞に至ったのかをかいつまんで説明した上で、益川先生につないでいく。

 1973年に発表された「小林・益川理論」
 (詳しくはwikiとかご参照ください)
  その当時「標準理論」に登場する素粒子の、アップ、ダウン、ストレンジまではわかっていた。
 (このあたり、こちらの表をご覧くださいまし)
 
 「CP対称性」というのが実はこわれてる、というのは1964年の実験でわかった。
 実験ではわかったけど、理論で説明できない。

 「研究の面白さは“理論の整合性”ですね。
  不思議な現象が、なぜ起こっとるのか?と追求するのが好きなんですね。」

 「でもそのときは、あ、まだ材料が足らないと思いました。
  1972年に計算が可能になって、小林くんが京都にやってきたタイミングで、40日間くらい考えました。
 クオークが4種類、という今までの考えを放棄する必要があった。
 あれ、クオークが6種類あるとしたら、「CP対称性の破れ」の説明がうまくいく。
 そういう論文を、ちゃんと書いたらどうだろうかと小林くんにいうと、小林くんも「そうですね」といった。まあ、それくらいの話です。」

 で、1978年の東京コンファレンスにて理論屋がいろいろ検証し、小林・益川のやつが一番有望だろうと南部さん(南部陽一郎氏)がレビューを書いたので、実験屋さんがそれならばとやりはじめたのだそうだ。

 観山氏「今年はヒッグス粒子が見つかったみたいですねぇ。」

 「このヒッグスってのが傑作で、南部先生が対称性の自発的破れを見つけた時に、質量が0の粒子がでてくると。で、ヒッグスは「相対論がやぶれたらいいじゃん」と言った。」

(T先生より「ヒッグスさんは、「相対論が破れる」ではなくて、「ゲージ対称性が破れる」と言ったのかな?」と。・・・たぶん聞き取りまちがいですね。すいません)

・・・・・このあたり、知りたい方が聞かれたらぞくぞくするようなお宝話なんでしょうが、寺本はさっぱり聞き取れずノートにはみみずのような単語がならんでおります。もうしわけございません。

 「・・・ま、誰にもわかりませんけどね、今の話。」・・・はははは

 ということで、素粒子論は新たなフェーズに突入したようで
 「スーパーシンメトリーが顔を出したら今までとちがうものが見えてくる。」そうだ。

 新しい素粒子がぞろぞろ見つかれば、宇宙のダークマター、ダークエネルギーが分かるかもしれない。
 ストリングセオリー・重粒子論を素粒子的に考えると難しい。
 でもこれ、10次元の世界に行ったら言える。学生のころから言われてるけど、まあ、技術の進歩もありますからね、的なことを話されていたように思う。


 先生は基礎研究の大切さも話された。

 「科学的な基礎理論が体系立てられて応用されるまで100年くらいかかる。
  1864年に理論づけられたのがテレビになったのは1960年くらいでしょ、原理がわかっても、一般レベルになるのに100年くらいかかるんです。
  でも、そのことを研究するための技術のバイパスはすぐやってくる。
  月にロケットを打ち上げるためにNASAが開発したヒートパイプの技術は、3年くらいでオーディオのスピーカーに応用されました。」

 「でもね、小林・益川理論は永遠に応用されない。絶対役に立ちませんよ!」
 と先生誇らしげ。

 「科学技術というのはね、ある程度解析したら、どんどん大きな自然に働きかけなくてはいけなくなる。行き着くとこまでいっちゃった。科学技術、テクノロジーと一緒になって、原発も、核融合も・・・これは、生易しいものではありません。」
 そう、しみじみ、おっしゃった。


 観山氏「先生はどんな学生だったのですか?」

 「科学ってのは19世紀のヨーロッパで終わったと思っていたんです。そしたら、高校1年の秋に、クオークモデルの前進の坂田モデルが発表された。
 これは見学にいこうと、益川にも目標ができたわけです。
 高校の授業中は内職をして数学の問題を解いていました。
 高校3年になって、親から砂糖屋の跡を継げとせまられるわけ。
 これは大学に逃げなくちゃと思って、勉強したんですけど、英語は捨てて、5教科1000点を4教科800点で受けた。これは良い子はまねしちゃいけない。

 大学4年の院の志願の時に、数学から物理へ行ったんです。
 こんなになるまで進路に迷っていても、ノーベル賞はとれるってことですね。

 ドクター1年でやっと坂田研究室に入った。ずーっとふらふらふらふらしてたんです。
 以前、本を出した時に「浮気のすすめ」とタイトルをつけましたら、本屋さんに怒られましたけどね。自分の専門をコレ!とせばめちゃうのはねぇ。

 比較的手だけでやってるようなことをやってると、変わり身は早い。
 コンピューター使ってやると、回収しようと固執して専門家になっちゃう。
 湯川先生のお葬式で、そういう人と議論をはじめて、まあそれで1本論文を書いたんですけどね。

 日本人はとくに自分の専門を決めたがるんじゃないのかなあ。
 ぼくは、束縛されるのはきらい。」


 観山氏「さきほど学生さんからの質問で、失敗したらどうしましたか?というのに、僕は失敗をしたことがないとおっしゃってましたが。」

 「そう、ぼくは失敗とか挫折をしたことがないの。普通は失敗かもしれない、でもぼくはそれを成功例としてとらえる。ああ、うまくいかないんだということがわかったから。なぜそうなったのかと、しちくどく考える。そうすると、あ、これはこうやったらいいと人より早く気づく。
 なぜ解けないか、を分析する。
 こうだったらいいのに、というのも考えるんです。」

 「考える、ということは、状況が変化しているときにいち早く気づけるということです。
  なんで?とかなり分析しました。
  するとそのうち新しい理論がでて、材料がそろって、ああこれで書ける!と書くわけです。
  分析してたのを、ずっと頭の中に入れとく。すると印象に残るんです。」


 観山氏と一緒に、広島大学 東広島天文台かなた望遠鏡を見学され、
 「昼間でも星が見えるんですねぇ!・・・よく考えたら、わかるんですけど。」と感激されていたそうだ。


 会場からの質問。先生は席から立たれ、マイクを持って質問者に近いステージ際まで出て質問に応えられた。

 「これからの大学生はどのような心構えでいけばよいでしょうか。」

 「まぁ、就職しなくっても死にはしない。悩んでもしかたない。
  楽観的に。
  だってそうでしょう。・・・こういうの、世間一般にはバカって言うんですよね。
  数学やってたのも、直接的には役に立たないけど、自分の血となり肉となりましたから。」

 「失恋したらどうしたらよいでしょうか。」

 「自分でなんともならないことは、考えたって仕方ない。
  必ずソリューションがあると考える。・・・能天気なのね。」

 「これからの大学はどうあるべきか。」

 「そこの構成員がひとりひとり、つよく思うことです。
  一途に求めていれば必ずなんとかなります。

  ここに行きたい、と思っていてもそうならないこともある。しかし、違う道を行けばいいんです。求めた道を行けたかどうかじゃなく、求めたものに、なっていくんです。」

 「先生は奥様に「あなたはわたしと結婚しなくてはならない」とプロポーズされたそうですが。」

 「そう。
  だってね、恋愛でもなんでもそうだけど、なんでも必然に、そうなっていくんです。」
 とにっこり。

 盛大な拍手で終演。

 それぞれが胸にいろんな言葉を書き留めて、会場を後にしたのでしょう。
 ありがとうございました。

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2012年10月24日 (水)

東京マダム

 先日東京に行ってきた。
 土曜日の、中国茶のイベントを見たくて行ってきた。
 日帰りは慌ただしいので、一泊した。

 前日昼に羽田について、乗り継いで渋谷へ。
 渋谷の奥の松濤というところの美術館を見に行こうと思った。

 まずはちょっと、あたらしくできたヒカリエってどんなのか見ることにした。
 中国茶の教室で知り合った方がそこに転勤になったと伺ってもいたし、ちょっとのぞいてみようと思ったのだった(いなかったけど)。

 ほうほう、ハチ公側じゃないほうにできたのね。
 うんざりするような人の流れはさすが東京
 もうつかれてきた・・・

 きらきらしいそのヒカリエは、「なんでもあるなあ!」だった。
 服も、雑貨も、食料品も、化粧品も、
 あれ、ちょっとお茶菓子にかわいいなあ。
 あれ、洗濯物入れるのにちょうどいいなあ。
 でもそんなばかでかいカゴさげて歩くわけにもいかないので買わなかったけど。
 
 若い女子ばっかしかと思ったらそうでもなかった。中高年の女性も楽しそうにお買い物されていた。
 平日昼間だからかな。
 
 8階「8/」にあがると、案外人は少なかった。

 「47の日本を一カ所ずつ、一冊ずつ、ロングライフデザインの視点で旅するトラベルガイドブック、d design travel」の「東京号」を特集する展示があった。
 となりには「d design travel」セレクトショップがあった。

 入り口に金魚鉢があり、「広島の珍しいメダカ」とあった。

 あ!あの、廿日市から吉和に抜ける道の途中にある、不思議なメダカ屋だ。
 行ったことはないけど前を通るたびになんじゃろうかと眺めてた。
 メダカ業界では有名なのであろうか。
 地元ではまるで接点のなかったものに渋谷でお目にかかる、なんか変な感じ。


 さて、昼飯どきも幾分か過ぎてお腹もすいた。
 「d47食堂」というのがあったので、そこで食べることにした。

 カウンター席に案内される。
 日差しがまぶしいので白いロールカーテンがおろされていたけど、
 たぶん渋谷駅を見下ろすロケーションなんでしょう。

 メニューを見ると、日本各地の産品が並んでいる。
 
 夏に行った高知の「りぐり山茶」もメニューにあった。栗焼酎「ダバダ火振り」も。

 さて何をいただこうか。

 じゃあ、東京定食。

 「すいません、あいにく終わっておりまして・・・」

 あー・・・じゃあ、大阪定食で。

 東京でなぜ大阪定食。よくわからないが、美しい定食がやってきた。

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 小鉢の牛すじの土手焼が大阪っぽいね。
 野菜のことこと煮たスープが身体によさそうだ。
 しかしこれで1500円ですからさすが渋谷価格、

 などとひとりもくもくといただいていると、隣のマダムたちの会話が耳に入ってきた。


 カウンターに案内された時にはもう、珈琲を飲みながら会話を楽しまれていた。

 席に座りながらちらっと伺うと、トシの頃は50代後半から60あたま、お二人ともとってもお綺麗で、なんといってもゴージャスだった。

 バッグ、指輪、お洋服、ヘアスタイル、とても上品で高級でお洒落で、家庭画報からいらっしゃったかのようだった。
 はっはーさすが、都会のマダムは違うねぇ。


 おしゃべりの内容を盗み聞くのは趣味が悪い。
 とはいえ、都会のイントネーションで優雅にしゃべるその声は、耳に心地よく聞こえていた。

 そんな会話をBGMのように聞き流しながら、これ食べたら美術館までどう歩けばよいのかしらなどと、アイホンで地図を広げていたら、突然すごくクリアに会話が胸に飛び込んできた。


 「わたしねぇ、ゆうべも眠れないほどだったのよ。
  もう最近、とっても、鬱になるの。」

 「あらどうしたのよ」

 「そこそこな家に住まわせてもらってさ、美味しいものたべて、お芝居見て、たまには旅行に行ったりなんかしてさ、
 それでいいのかしら、って。
 わたし、なんの役にも立ってないんじゃないかしらって。
 そう考えたら、なんだか虚しくなっちゃってぇ。」

 「んまぁ あなた、いいのよぅーそれで、しあわせじゃない、楽しまなきゃあ。」

 びっくりして箸を持つ手が止まった。

 こんなに綺麗で、ゴージャスなマダムなのに。

 そのマダムの憂鬱が、箸を伝って流れ込んできたかのように、こちらもどーんと虚しくなった。

 豊さって、いったい何なのかなぁ。

 
 先日読んだ本を思い出した。
 暉峻 淑子さんの「豊かさとは何か」。

 その一部分をノートに書き出していた。

ーーーーーー

 公共とは、お上ではない。
 一人ひとりが、自主的に、共同体的な土台に対して、意味や行動を投げかけて、たえずそれを「われわれのもの」として改善していくと同時に、その土台がわれわれ1人ひとりを支え自由にする、という意味で、公共のものは共有の財産なのである。
 それは支配服従の関係でもなく、ある価値観の押しつけでもない。
 その基盤がしっかりしたものであればあるほど、競争によって個人が押しつぶされることはなくなるだろう。
 モノとカネのやりとりによって人と人のつながりができるのでなく、人と人のつながり方をよくするために、モノとカネが動くことになるだろう。

ーーーーーー

 たぶん、「公共とは、お上ではない」っていう文にハッとしたのだと思う。

 国はだめだ、役所はだめだ、
 震災や原発や、そういうふうに嘆くのはかんたんだし、賢そうに言い立てる言葉のひな形もたくさんある。
 でもそれは、公共はお上のものであると、明け渡してしまってる宣言だ。

 公共は、お上のものではない。
 公共を、わたしのものとして考えなくてはいけないんだな、としみじみ思い、ノートに書き留めておいたのだと思う。


 今こうして、マダムの嘆きを聞いて考え込む。

 いい家に住むことも、美味しいものを食べることも、お芝居を見たり旅行に行ったりして楽しむことも、私的な楽しみかもしれない。
 自分だけが歓んで、だれも歓ばせてないんじゃないか
 そんな淋しさに、耐えられる人は少ないんじゃないか。

 ふー。

 お友達は
 「んまぁ あなた、いいのよぅーそれで、しあわせじゃない、楽しまなきゃあ。」
 と言ったけれど、
 そしてなぐさめの言葉としては無難だと思うけれど、
 私ならなんと言っただろう。

 あのー、マダム、

 たとえば素敵な靴を、お洋服をお求めになるなら
 「ありがとう、あなたのおかげで いいお買い物ができたわ。」
 とにっこり微笑んでください。
 疲れたお店の方は、マダムの笑顔を見て歓びが身体にみなぎるでしょう。

 お芝居やコンサートを見たなら、渾身の、惜しみない拍手を。
 演者にとってのなによりのご褒美、さらによいパフォーマンスを目指そうと思うでしょう。

 旅行に行かれたならば、ガイドさんや土産物のご主人の話に、おおきく頷きながら話を聞いてみてください。
 聞いてくれる歓びに、もっともっと、魅力的な話をしたくなるでしょう。

 何よりマダム、カウンターでゆったり珈琲を楽しまれるその美しい様子に、わたしは「素敵ねぇ」と拝見しましたんですよ。いい景色として。

 人の為に役立つこと。
 そういう仕事に情熱を傾けるとか、
 ボランティアに打ち込むとか、
 そういうことばかりでもなくて、

 マダム、あなたは十分に人に歓びを与えるチャンスをお持ちです。
 そしてそれは、また、誰でも。わたしも。

 公共、
 深いか浅いかはべつにして、
 人と人がつながることで
 よくなる。そこにものとお金が流れる。
 そういう豊かさに、たった今からでも参加できる。


 「ごちそうさま、ありがとう」
 会計を済ませ、大きな声で挨拶をして、美術館に向って歩き出した。


 

 

 
 


 

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2012年7月22日 (日)

「毛のない生活」トークショウ

 廣文館(@kobunkan)さんのツイートで、『毛のない生活』(ミシマ社)の発刊を記念し著者の山口ミルコさん、担当編集社の三島邦弘さん(ミシマ社代表)をお招きして「編集者として闘う『毛のない生活』ができるまで」トークショー&サイン会が開催されることを知った。ので、今日行ってきました。

 「寺子屋ミシマ社」に参加して以来のミシマ社ファンなので、見に行かないでか。


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 お二人も絶賛の似顔絵パネルが。

 こういう、書店員さんの情熱が、いやこの情熱はきっとこの本を生み出された編集者や著者の熱で、それが書店員さんに響いてこういうパネルになり、トークショウ開催に至ったのだと思う。情熱の連鎖。それだけが人を動かすのね。


 乳がんという人生最大の苦難を闘った「毛のない生活」の著者・山口ミルコさんはとてもお綺麗な方でした。
 お二方とも明るく軽妙に話しを運ばれて、仕事ができる方ってのはトークも切れ味いいんだねと。

 この本ができるまでを、編集者と元編集者である著者が語るその内容は愛に満ちていた。

 ・作品を書くというのは地下鉱脈にもぐっていくような行為、プロはそこから言葉を採って帰って来られる人、編集者は、「ここに帰ってきてください」という場所を示す人(山口氏)

 ・宮島に行く電車の中で安田登さんの「異界を旅する能 ワキという存在 」という本を読んだが、そこに“ワキというのは、「なにもしない」を全身全霊でやっている、その存在があるからシテは初めて語ることができる”というようなことが書いてあった。編集者というのはワキのような存在ではないか。編集者と作家、それが表裏一体となるから魅力的な本が産まれる。紙には表と裏がある、しかし電子書籍には表しかない。それを発見して電車で叫びたくなった(三島氏)

 ・病気にもなりたくないし、災害にも遭いたくはないのですが・・・どうしても経験してしまうことがあるとして、経験から逃げると、経験が追いかけてくるというか・・・ある時期、向き合わないといけないものなんだなあと(山口氏)

 ・(影響を受けた仕事は?)五木寛之さんとのお仕事は自分の考え方に影響が大きかったと思う。末端を大切にする、ということとか。身体の中心・お腹が大事だったら、末端を大事にしなくてはいけない。それはたとえば都市が栄えるには地方がいきいきしていないといけないとか、そういうことにつながっている気がする(山口氏)

 明るく語っていた山口さんでしたが、来場者からの病の体験についての質問に真剣に答えられる際には、これまでの自分の経験の中から答えをつかみ出す痛み、そしてそれを手渡そうとする思いをひしひしと感じました。
 熱心にメモをとっていた隣のおねえさんは泣いていた、つられてちょっと涙。

 かつて、同じ病を患い克服した「先輩」がとても美しくしなやかな方だった、その存在だけで勇気づけられたと語っておられました。ご自身もまたそのようでありたいと思われるのでしょう。

 「自分は、強いとは思いませんね・・・
  でも、できることは全部しようと。
  まず本を読みました。翻訳されてないものも読みました。
  そうやって自分を忙しくした。
  ・・・死なないようにしたほうがいいと思うんですよ、できるかぎり。」

 最後にメッセージとして
 「みんなもっと自分の思いをしゃべりましょう。文章が書ける人は書けばいいし、そうじゃない人は話せばいい。もっと自分はこう考えてるんだ、ということをうるさいくらいにしゃべった方がいい。外国ではパブなんかでうるさいくらいにしゃべってます。日本人ももっと、しゃべりましょう。」(山口氏)
 「そうですね、言葉は身体ですから、言葉を発すれば身体性も高まります」(三島氏)

 励まされます。よし、しゃべろうみんな。

 最後に本にサインしていただきました。
 「お名前は?紫織さん?きれいなお名前ね〜 なんのお仕事されてるの?」
 するするーっと構えず話される言葉が、心をぱかーっと開くような。
 なんというか、アメノウズメ的というか、そういう才能っていうのがあるんだなあと感じました。
 
 三島さんには内田樹氏の「街場の文体論」にサインしてもらった。
 「えーっ!内田先生の本に!?そんな恐れ多い、内田先生が聞いたら・・・でも「まあいいけど」ってきっと言うんですけど、いっつも。小さく書いとくんで、内田先生にはもっと大きくサインしてもらってくださいね。」
 おちゃめである。
 ありがとうございました!


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2012年4月10日 (火)

「テラ空カンvol.2」

 インターネット寺院「彼岸寺」というのをご存知でしょうか。
 何年か前に知って、なにこれかっこいいと思っていろいろ拝見してまして、その中の「禅僧の台所」という、精進料理の作り方などを連載している記事の筆者が広島の方だと知って、へーと思っていた。

 話は変わるが、肉体を鍛えるなら筋トレなんだけど、心はどうやって鍛えりゃいいのかとここ数年考えていた。(いや筋トレもしてないんですけど)
 で、合氣道の呼吸法の本を読んでみたり、「彼岸寺」で座禅アプリ「雲堂UNDO」などをダウンロードして、なんだか座ってみたりした。

 それでどうなのか。うん、よくわからないけど、やらないよりはいいと思う。

 そうこうしてたら、「彼岸寺」さんからメルマガでお知らせが届いた。
 「禅僧の台所」の筆者の方が、寺でイベントをやるらしい。
 その名も「テラ空カンvol.2」
 ヨガ教室+精進料理の教室 とあった。

 ヨガ!
 やったことないけど、深い呼吸をするんだと聞いていたので興味があった。
 教室に行くほどでないけど、体験してみたかった。
 おまけに精進料理がいただけるー。即申し込んだ。

 開催が近づき、ばたばたと参加費を振込んでメールをいただき、当日の持参物を見ると
 「ヨガマット」とある。
 なに、キッチンマットじゃだめなの?
 続けてやるかどうかわからないし、どんなものがいいのかもわからないし、いきなり買うのもなぁ、と思ったが、教えてくださる先生にキッチンマットじゃあまりに失礼だと思い直し、開催日の朝東急ハンズに駆け込んで購入。
 買ってよかった。あれないとグリップがきかないんですね。

 会場は「毛利元就ゆかりのお寺 曹洞宗八屋山普門寺」

 ここは、父がまだ生きてた頃、母と3人でたまたま通りがかったお寺だ。
 そこの枝垂れ桜がちょうど満開で、あまりの見事さにおじゃまし、父が母とわたしの写真を撮った。


 あのときと同じ桜が、今を盛りに咲き誇っていた。


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 あー
 お父さん、今年も桜が綺麗だよ。

 見とれていると、ヨガマットを肩からかけた女性が2人、地図とこっちを見比べている。
 会釈して、一緒に会場へ。
 まだ新しいその会場は、玄関を開けると正面に韋駄天様がおられ、右に美しい厨房(典座寮というのだそうだ)、その奥に座敷が続く。

 「あ、いらっしゃいませ、奥でお待ちください」と、爽やかに出迎えられたのがこちらの副住職さんの吉村昇洋さん。

 奥の座敷に座り、参加者がそろうのを待つ。座敷の雪見障子から、外の桜がよく見える。
 桜につられていろんな方が来られ、ケータイやカメラ片手に桜を見上げている。
 
 参加者がそろったところで本堂に移動。
 お灯明を灯し、香を焚いてガイダンス。

 「今このとき、一挙手一投足が修行だと考えます」
 「考えていることより、やることを重視します」
 などという言葉に頷く。そうだよなぁ。

 そして読経。経本を手に一緒に読経。

 ヨガの加藤貴昭先生もこれまた爽やかな方で、超からだの固いおばさんがいろいろポーズをとるところを想像すると急に申し訳なくなる。

 「今日は初心者の方も多いようですので、軽いものをやってみましょう」
 とはじまった。

 まずは座って呼吸を整える。本尊に向かってヨガ。あんまりないシチュエーションだと思う。

 「手をゆっくりと上にあげてー・・・ 太陽に挨拶をしましょう・・・・ゆっくりと手をおろしてー・・・・」

 先生の読経のようなおだやかなリードをうっとり聞きながら、しかしこれほどまでに固かったのかわたしのからだよ。ぎしぎしいう身体をまげたりのばしたりひねったり。

 これって軽いのか?と思いながらなんとかついていった。
 が、普段意識しない自分の身体のあちこちの感じを感じるってのは、なんとも気持ちがよいことであった。

 終了後、
 「ほんとはこの桜を見ながらやろうかとも思ったのですが」

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 おおーー。
 花冷えの空気がさーっとはいってきた。


 さて、腹ぺこです。座敷に移動。

 まだかなまだかなー。
 「お待たせしましたー」

 わーい!
 八寸、鉢、椀ものと次々運ばれてくる。来場者歓声。腹へりMAX。

 しかし精進というとこう、味噌やらなんやらで彩りのないものをイメージしていたが、どこのイタリアンかと思うほどの鮮やかな品々が並んだ。

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 いただきますの前に、精進料理の食事作法を習う。
 「器や箸を手に取るときには、合掌一礼し、必ず両手であつかいます」
 なるほど。
 「咀嚼するときには、箸は手に持ったままにせず、汁碗の上に箸先を手前に向けて置きます」
 箸をもったままモグモグしちゃだめなんですね。
 「最後にお漬け物とお茶で器を清めますので、沢庵を一切れ残しておいてくださいね」
 これは茶の湯の懐石も同じ作法がありますね。
 禅宗の作法が茶の湯の茶事にも現れているんですねぇ。

 箸袋に書いてある「五観の偈」をみなで読み、「いただきます」。

 「まず最初の5分はお話せず、お料理に向かいあって召し上がってみてください」

 ということでさっそくいただく。
 腹ぺこなのでがつがついきたいとこだが、口に運んだら箸を汁碗に預けなくてはモグモグできない。
 箸をとりあげる、椀をもつ、ほおばる、箸を置く、モグモグモグ、箸をとりあげる、、、、
 なんとももどかしい。

 食べることも重要な修行だと聞いた。
 つぎからつぎに口に放り込んではわからないものだなあと、1つ1つの料理の手間と命をおもいながら「いただきます」とはこういうことなんだなあと思った。

 しばらくして、和気あいあいと話しながらの食事。

 「この蕗味噌田楽おいしいー」
 「この黄色いのはなにかしら」
 「・・・畳のにおいがしますよ」
 「・・・わかる・・・なんだろう?」(かぼちゃの粉でした)
 
 いやぁ、どれもこれもほんとに美味しかったです。野菜が甘い、やさしい、美しいお料理でした。

 「ではいよいよお茶をお持ちしますので」

 まず飯椀にお茶を注いでいただく。それを碗に、鉢に、沢庵でなでて洗いながらうつしていく。汁碗まで清めて、それを飲む。

 ・・・マリネとか豆乳とか渾然と一体になったのを飲むのに若干抵抗があったが、やっぱりやさしい味わいで決してまずいものではなかった。

Img_2339

 ほらぴかぴか。

 禅宗のお坊さんは応量器と呼ばれる入れ子状になった塗りのお椀で食事をするのだが、そうやって清めて洗わないんだそうだ。
 普段の食事でも、そうやってぴかぴかにすれば洗う水だって無駄がない。作った人、片付ける人のことを思っての振る舞いなんですね。

 一堂満腹満足。
 あとはお料理について各々吉村さんに質問して教えていただく。

 「彼岸寺」を見て下関から駆けつけた方が熱心にたずねられたおかげで、いろんなことを教えていただいた。
 永平寺で2年2ヶ月された修行のお話も興味深くおもしろかった。

 玄関あけたらなぜ韋駄天?の謎もわかった。お坊さんにとってあたりまえのことも、あまりに知らないから聞いたらびっくりして面白い。
 で、茶の世界だとか、法事での作法だとか、あれやこれやがいろいろ「なるほどー」と結びついてつながって納得する。
 
 引き続きお茶をすすりながら、あっちの座卓ではヨガの加藤先生を囲み、こっちの座卓では吉村先生を囲み、あれこれ話に花が咲く。

 普段法事や葬式でお目にかかるお坊さんと、ゆっくり話す機会あんまりないですもんね。
 おもしろかったなぁ。

 「せっかくだから、写真撮りましょう!」


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 桜の下で、名残惜しみながら写真を撮り、解散したのでした。

 4月中に精進料理の料理教室も開かれるそうです。
 今後ヨガの教室も月に一度くらいやる予定、ともおっしゃってました。
 ヨガも精進料理もいいなぁ!

 なんせ場所が、この「テラ空カン」がよかった。
 ありがとうございました。


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2011年8月 6日 (土)

オノ・ヨーコ レクチャー&パフォーマンス「希望の路」


 2011.7.31(日)18:30〜
 オノ・ヨーコ レクチャー&パフォーマンス「希望の路」
 アステールプラザ中ホールにて
 (当初広島市現代美術館エントランスホールで実施予定だったが、応募多数のため急遽会場変更)
 応募し当選したので行ってきました。

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 入り口で配布された当日の朝日新聞には特集記事が。

Img_4356

 会場は満員、老若男女がオノ・ヨーコ氏の登壇を待つ。


 音もなく真っ暗なステージ
 白いヴェールにくるまれたものが、それを長く引きずりながら這うようにステージ中央へ。
 布の中から、懐中電灯をともす。
 会場を照らす。光の筋がまっすぐのびて闇を探る。
 布をひらりとめくってオノ・ヨーコ氏登場。

 それからいくつかのパフォーマンスを上演。

 78歳という年齢が老いではなく深く強い力として胸に迫る。

 演奏したギターのフレーズをサンプリングしリフレイン、その音楽に合わせてステージを延々と歩き続ける彼女の背景に、まだ若かった頃のジョンとヨーコと幼いショーンの写真が現れた。
 幸せだった家族の肖像がゆっくりと透きとおり、森の写真に変わっていった。
 その前をただ歩き、時に苦悩の表情を浮かべ、歩き続ける。
 泣けてしかたなかった。

 パフォーマンスの最後は、大きな白いボードに「夢」と墨書き。
 サインペンでちいさくサインを記して、彼女はにっこりと笑った。

 「これは広島市現代美術館に差し上げます。そしてそこでこのミニチュアみたいなのを作って売っていただいて、その売り上げを“レインボーハウス”に寄付したいと思います。レインボーハウスというのは、仙台に今できつつある東日本大震災で親を亡くした子供たちのための施設です。とてもいい施設だと思うのでそこに寄付します。」


 その「夢」の書の前に椅子を置き、そこからはレクチャーだった。

 会場のみなさんからの質問にお答えします。質問のある方は前に出てこのマイクの前に並んでください。
 ざわざわざわ・・・・
 勇気をふりしぼった人たちがぽつぽつとマイクに向かって話しかける。


 以下聞きながらとったメモから書き起こしました。
 ヨーコさんの「シェアしたい」という思いに揺さぶられたからです。
 実際はもっといきいきと、チャーミングに受け答えをされていました。


 ◎希望の路を今こそみんなで歩かなくてはいけない。生きたければ、それしかない。
  希望の路を歩かないで黙っていると、沈んでしまうから。

 ◎愛は必ず夢を持ってる。夢は愛の倍音だと思っています。


 (オノ・ヨーコ展で見た展示のあのフラッシュは何を意味し世界にどう伝えたのか)

 ◎原爆から今までの間、焼け野原をほっとかず、ほんとに美しい都市をつくっちゃった。世界のイジメに負けないで黙々とつくったのです。広島をそうしたということは、日本は世界一の国になった。世界は広島を見てすごいなと思う。広島は犠牲になった都市だけど、あなたたちはもう犠牲者じゃない。これをつくったんだぞと日本を代表して言っていい。私たちは解決したのだと。世界は「Japaneseはすぐに復興する。すごい」と見ている。(東日本の震災直後に)黙々と道を直し、前よりも立派な道をすぐにつくって直した。改良したり再建していくのは、偉いというか、賢いです。

 かつて世界中がわたしをいじめていました。いじめのバイブレーションがしょっちゅう来てた。あるとき、それを嫌だと思うのもうれしいと思うのも私の勝手だと気づいたの。それをこうして変えてね、ポジティブなパワーに変えて世界におくった。それができたことが私を助けた。いじめがなんだ、と思えば、いじめているほうが沈む。力の性質を変えればいいのです。じゃあそれは一体どうやるのか。それは、あなたの考え方次第だと思いますね。


 (ヨーコさんの原点はなんですか?)

 ◎原点なんてない。それはわたしの一生。
  世界を平和にって、よし俺がやってやろう、ではなく、まずはあなたのまわりを平和にすることです。あ、最近ママに電話してないな、電話しようとか、1日に3つくらいいいことをするとかね。そういういいことをすると10倍になってかえってきます。そうすることが世界を平和にしていく。他の人のところをよくしてあげようなんて思わなくていい。まずは自分の世界をよくすればいい。


 (ヨーコさんはツイッターでよくお部屋のことをつぶやいてらっしゃいますが、理想の部屋はどういう部屋ですか?)

 ◎理想の部屋は地球です。
  わたしたちが美しくすれば楽しくなる。


 (もう大ファンでこうしてお話ができるなんて気絶しそうです。オノさんの表現を見て影響を受けて、わたしも作品を作っています。)

 ◎ありがとう。
  ニュートンはリンゴを見て引力を見つけましたね。わたしはあなたの視野に偶然いた人で、あなたがすごいことをしているのです。あなた自身のことを尊敬してください。いくら一生懸命やっても誰も見てくれない、評価されないと言う人がいます。でもわたしたちがしていることはすべて世界に通じています。世の中には戦争につながるwar industryとpeace industryがある。あなたはpeace industryの一人なんだからどうか誇りをもってください。

 ◎希望を前向きに発信すれば世界につながります。
  ネガティブだと自分が救われない。
  広島はすごいひどいことをされても、他の国にもやってやろうなんて思わなかった。
  NO MORE HIROSHIMA 他にもうこんな思いをさせたくないと。だから世界を救ったの。


 (今日の当選ハガキを落としてしまい、入り口で呼びかけていたら欠席した友人のかわりにと一緒に入場してくれた方にこの場でお礼が言いたい!)

 ◎いい話ね。
  「今日、12人殺した」とか、そういう話ばっかりで、新聞にはこういういい話って 載ってないでしょう。こういう小さな美しい話をどんどんやっていきましょう。


 (若い頃と今とで変わったことは?)

 ◎70歳の時にショーンがお祝いにコンサートをしようといったの。いいわよもうそんなと思ったけど、やってみたら楽しかったの。今78ですけどね、150くらいまでいくんじゃないかと思えるの。今と昔では、歳に対する理解が変わりましたね。歳に対する理解は、考え方で変わりますね。


 (未来はどうなりますか?)

 ◎わたし、未来のことまで考えられません。
  毎日きちんとやっていくしかないんじゃないですか。

  (広島への思いを)分かち合いたいと思います。
  あなたたちが苦労してくれたおかげでわたしたちは希望の路に入ることができた、ありがとう、という思いを分かち合いたいと思ってここに来ました。
 (第8回ヒロシマ賞を受賞して)アウォードのスピーチ1分間でお願いしますって言われたけど20分もしゃべってしまった。そのくらいそういう思いが強いですね。


 (英語での質問:日本も他国に悪い行いをしたのに謝罪しなくてもいいのか?)

 ◎日本人だって悪いことをした。世界中どの国も残虐行為をしました。しかし謝るといって、誰に謝るのでしょう。忘れずに覚えていて、しかし影響されないで。悪かったから、今度は良くしよう、それが世界がよくなっていくことです。昔あんまり良くしなかった彼女が亡くなって、罪の意識から次の彼女には彼女以上に良くすることをためらう、そうじゃなくて、昔のひとを良くできなかった分、今の人に良くしてあげればいいのです。


 (3/11以降、展示内容が変わったと聞きました。どう変わったのですか?)

 ◎まずはタイトルを変えました。
  NO MORE HIROSHIMA, NO MORE NAGASAKI ほんとうはそうなのに、長崎のことはあんまり知られていない。長崎の人は良く思いませんね。ですから、「長崎への路」というタイトルにして、ドアの作品があるので、そこを通って行くイメージにしていました。わたしたちひとりひとりの人生は、いろんなドアを通って生きながらえてきました。the way of survive。
 しかし、3月11日、わたしはニューヨークにいましたが、広島も長崎も大変な目に遭って、今度は福島もか、と。これは考えなくてはいけない。そのときわたしは「悔しいー!」と思った。それは英語には訳せない思いです。それで考えたんだけれども、日本はこうして何度もひどい目に遭って、呪われた民族なのかと思う人もいるでしょう、でもちがうの、「選ばれた民族」なの。すごいひどいことをかぶっても、それを必ずすごくよい方にする、世界はそれを見て、すごいな、自分たちもそうなりたいと思う。日本は世界のリーダーシップをとれる。そういうすごいことになるぞ、と思って「希望の路」だ、としました。


 (3/11以来呆然とする感じが続いています。衝撃的な思いがありました。)

 ◎新しいことを知るとね、ああわたし、これを知らないで死ぬところだったんだと思うの。だから、わたしの知っていることをどんどん出して、おもしろいことをシェアしたい。
 最近出会ったおもしろいこと、これ、ドリームパワーのライブでもしゃべったから知ってる人は耳をふさいでね。 
 ある二人の科学者が波の研究をしていました。波打ち際で小さな子供が石を投げる、ぽちゃぽちゃする、それがパーーーッと影響して世界中の海のかたちが変わるの。
 よく、僕はお金持ちでも有名でもないから平和運動なんかできません、って言う人がいるんだけど、でも、ただ生きて、小石を落とすだけで海につながってる。あなたが考えていることはぜーんぶ世界につながっているんですよ。だから気をつけて。大きな岩を水に落とさなくても、世界に影響を与えないわけではないんです。ですから、これからわたしたちは「小石族」になりましょう。

 最後に、

 ◎あなたがたは平和の家族、とってもいいバイブレーションだったわ。
  ありがとう。


Img_0318


 ■第8回ヒロシマ賞受賞記念 オノ・ヨーコ展 
  「希望の路」YOKO ONO 2011 
  広島市現代美術館で10月16日(日)まで開催。
  小中学生は無料で、キッズガイドの配布もあるそうです。
  わたしも息子をつれて見に行きたいと思っています。

 

 

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2011年7月26日 (火)

「mt ex 展」に全部ある

 ツイッターで同じような写真を何度も目にした。

 「mt展に行ってきました」「これみてすごいでしょ」
 ケータイで思わず撮ってシェアしたくなるそのmt展とはなんなのか。

 あ、マスキングテープだ!

 かれこれ5年くらい前、取材で行った岡山県倉敷市、昼飯時に「三宅商店」という町家喫茶にてカレーを食べた(うまかった)。そこに見た事もないかわいい紙テープがあったのだ。
 KAMOI masking tape
 そもそも小学生のころ骨折し、包帯をとめていた紙テープが大好きだった。
薄いブルーで、手でちぎれて、半分透けていて、上から鉛筆で字が書ける。
薬局で医療用紙テープを買っては、ノートにプリントを貼る時などに使っていたのだった。
 なので好みにジャストミート。パッケージもかわいくてたくさん買って帰って友達に配った。

Furui

 買ったまま未開封。物持ちいいな。このパッケージはロゴが古いんです。

 そうか、mtってあのマスキングテープなのね。
 そういえば最近雑貨屋さんでは必ずといっていいほどmt売ってるし、mtの本もたくさん出てるもんね。すっかり人気者だ。

 そうかじゃあ「mt ex 展」行ってみようと、行ってみたのだった。


 広島港宇品旅客ターミナル2階って、なんでそんなとこで?と不思議だった。
 今までこういう展示会あったのかもしれないけど知らない。
 
 市内中心部から路面電車に揺られること約30分。終点が会場の宇品旅客ターミナル。

 そこに、停車中の「mt電車」発見!

Densya1

 電車内にこれでもかとmtが貼り巡らされた1両編成の電車。発車直前に飛び乗って撮影。

Densya

 すごーい!よく広電が許してくれたなぁ。
 うーんと昔、3両編成の車内を丸ごと「マライア・キャリー」電車にしたことがありました。
 中吊りポスタージャックだけでなく、窓上部分は手作りで、マライアの生い立ちやキャリアのヒストリーを紹介しました。写真とか切って貼って。でも広告枠以外は触らせてもらえなかったんだよな。。。

 会場に向かう道すがら、バナーは下がってるし階段はこうだし。

Kaidan


 なんだかすごいぞ。

 会場も床から天井から一面mtでした。すごいなー。

Kaijyou


 なんせ商品は紙テープ、売り場面積はそんなにいらないというか、どうしてもこじんまりしちゃうはず。
 そこを「mt展」にするには。
 カラフルでいろんな柄のmtの魅力を全開にしてしまおう!というパワーを感じました。

 しかけもいろいろ。
 ガチャガチャがあり、「アタリ」が出たらレアなmtプレゼントとか。
 芳名帳ももちろん、各自自由にmtでデコできる。

Korajyu

 ただ見るだけじゃなく、買うだけでもなく、こうして会場の一部に自分の「デコテク」で参加できるのも、mt好きにはうれしいことなんでしょう。

 私も息子とやってみた。いろんなmtが使い放題、貼ってみるとテープに巻いてある状態と違うので、思わぬ美しさを発見することができる。で、欲しくなる(まんまと)

 そして会場には「広島限定」デザインが登場。チンチン電車柄とか(完売でした)
 スタッフの方に熱心にどれが広島限定か尋ねて買っている人がたくさんいました。

Kabe


 会場から外を見ると、テラスから続くmtストライプ!

Umi

 海と空に、美しく映えます。

 見てるといくつも欲しくなるのよね。あれこれ選んでレジに。

 前の人は7千円近く大人買いしてました。

 ん?スタッフの方が着てるシャツ、前立てにmtが貼ってある?
 「あ、これ貼ってあるように見えるデザインなんです。スタッフみんなおそろいなんですよ。」
 よく見るとmtのような布テープが縫い付けてありました。かわいい・・・

 あのー、どうしてここで開催されたんですか?
 「・・・いろいろありまして・・・。街中でやらないのがmtらしいというか(笑)」

 外のストライプ、あれ人力ですか?
 「はい!みんなで貼ったんですよー。この前は台風でもうたいへんでした。何度も貼り直して」
 にこにこ答えるスタッフの方々は、ほんとに楽しそうでした。

 外に出てみると、大迫力。


Yuka

 こーれは写メしたくなるって。すごいです。50m走できちゃうよ。
 あまりに美しくて、アイスなめなめしばらく眺めて帰りました。

 mt、ほんとかわいい。美しい。
 これがあれば、自分の生活もこんな風にカラフルになるんじゃないかと、わくわくできた。
 いい企画展だなぁ。

 これ、誰がディレクションしてるんだろう。
 帰宅して調べてみると、こういうページがありました。

 「これ、誰がデザインしたの?」

 集英社文庫「ナツイチ」キャンペーンやNHK「龍馬伝」などを手がけ、2005年JAGDA新人賞を受賞された居山浩二氏が手がけてるんですね。

 広島に先立って京都で行われた「mt ex 展」は 世界三大広告賞の一つであるOne Showに入賞、第45回SDA賞のサインデザイン最優秀賞及び招待審査員賞を受賞。すごいですね。


 そもそも、カモ井加工紙といえばうちの親世代は「ああ、ハエ取り紙ね」と言う。
 「カモ井のハイトリ紙」からスタートし、その粘着商品の研究開発で高い技術を誇っていた。

 それが今のmtになる「誕生ストーリー」がこちら

 「私たちはマスキングテープが大好きで、マスキングテープのミニ本を作りました。第二弾も考えているので、工場を見学させてほしい」という一通のメールが届く。送られてきたそのミニ本は、マスキングテープ=作業用品という概念をとりはらうすてきなデザインで、封筒のコラージュも初めて見る使い方だった。毎日取り扱っている社員の方がびっくりしたのだそうです。

 建築や塗装作業の現場で便利だと愛されていたマスキングテープは、ある「ファン」によるキュレーションでまるで新しい価値観を持った。
 そこに新しい価値を見いだす人の存在=キュレーターが今のmtのスターターだった。

 そして、友達同士焼き増しした写真を渡したり、お菓子をあげたり、手紙を書いたり、そういう場面でちょっとかわいくラッピングするのが好きな人たちがmtを見つけ好きになり、いろんなデザインのmtを待望し後押しする力になっていったのでしょう。

 ディレクションは居山さんに引き継がれてのびのび広がり、スタッフの方々も面白がってよろこんで、こうして床に天井にテープを貼りまくっているのでしょう。
 その、面白い感じ、大好きな感じ、会場中で感じました。

 自分が見つけた価値を育てたい、人に知らせたい、そうやって伝播していくものがいちばん強い。

 コミュニケーションに必要なものが全部ここにあるなと思った「mt ex 展」でした。

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2011年7月19日 (火)

広告大学


 先日、全広連夏期広告大学に行ってきました。(2011.7.15)
 統一テーマは「広告新時代~“デジタル”と“マス”の融合~」ー最新事例紹介と研究ー

 広告というか、世の中の外角低めに位置するスナリは、時々こういうメインストリームを見聞きする事で、自分の感覚と世の中の乖離がいかほどか計るようにしています。

 講師は3名、どなたも博報堂の方々でした。

 第1講「人が動く、マーケティングの基本姿勢」久地楽雅也氏(所属肩書略)

 消費者ではなく、生活者=まるごとの人間なんですよ、
 「マーケティングの狙いはセリングを不要にすることだ byドラッガー」
 つまり、生活者のほうから欲してもらうにはどうしたらいいか、
 生活者にとって、「他人ごと」ではなく「自分ごと」を生み出すこと
 「自分ごと」=エンゲージメント
 自分ごととして参加してもらう余地をつくる
 贈与と共有である。

 というお話でした。はしょりすぎだけど。

 とてもわかりやすく、んだんだと頷きながらメモをとり聞きました。

 「余地」

 すごく大事だと思う。余地。
 すきま、空間、空き地、広場、からっぽ。

 第2講「メディア戦略からクロスメディアを考える」
 本日の具体的な内容をSNSやツイッターやブログに書くのはご遠慮くださいということだったので書かない。
 というかあんまり覚えていない。すいません。

 視聴率は下がっていてテレビはだめだとか言われるが、録画して見てるからまだまだ大丈夫という話しだったような違うような。


 第3講「ソーシャルメディアと使ってもらえる広告」~広告から、広場へ~ 須田和博氏(所属肩書略)

 以下、メモからランダムに抜き書き。


 紙~CM~WEBと、扱う媒体が変わっても企画をするということ自体はかわらない。
 メディアは進化するけど人間は進化しない。
 広告は終わらない、しかし、変わる。

 フェイスブックって何だ?と思ってたとき、ある人が「新しい電話みたいなものよ、連絡しやすいの」と。
 イノベーションってのはすぐ“当たり前”になるんだな。
 人はあたらし物好きでナマケモノ。

 ファイブミニの広告表現で登場した「体内怪獣」をWEBに展開→あなたはどの体内怪獣?チェック
 その体内怪獣の着ぐるみを毎日街角やオフィスで写真とってミクシィでストーリー化した。「美女VS怪獣」(ここで“自分ごと化”)
 ミクシィの「中の人」をやってみて、ユーザーが反応し始めたその「反応」をよく読んで次の施策をした。
 ユーザーをよく読む。
 最終回、ユーザーから「ありがとう」「おつかれさま」 こんなにユーザーと関係できたことはない な、と思っていた頃、「エンゲージメント」という概念を知る。ああ、これか、と。

 メディアが断片化しはじめてる。
 ツイッター以前/以後でがらりと変わった。
 (マス媒体に)出稿もするけど、ユーザーに書いてもらわないと届かないんだな
 発信力ではなく、「被リンク力」が大事なんだな、と。

 それは「ツッコまれクリエイティブ」

・コンテンツ消費からコンテクスト(文脈)消費へ
・投下型広告から伝播型広告へ

 ex.「ドアラの九州旅日記」
(ドアラのファンが絶対がっかりしない、ドアラ最高!と言わせないといけない)

 「一本満足バー」
(おかしなつっこみどころ満載のCMを短期集中投下、ユーチューブにアップし削除申請せず→二次創作(一般市民が勝手にリミックス)がアクセスを集める→広告メッセージが残る)

 サラリーマン川柳をはじめとして、簡単なルールがあればそれにのっとって上手に参加して作る。
 日本は“草の根クリエイティビティ”が高い国だ。
 ぽぽぽぽーん「共通のネタ」に一斉にツッコミはじめた草の根の庶民のクリエイティビティを見てこの国は大丈夫だと思えた。

 簡単なルールを作って参加してもらう「ルールクリエイティブ」これが企画の仕事。


 視聴より参加→「使ってもらえる広告」
 ex.「マイミク年賀状」
 素晴らしいでしょ、という訴求より、使ってもらえるにはという気遣い=デザインテンプレートのバリエーションを増やす。
 広告会社は枠を売らずに仕組みを売った。

 ex.「ドミノピザ」・・GPSで花見会場にピザ届けてもらえるアプリ=使ってもらえる広告


 使ってもらえる広告=ビール会社名入れ栓抜き・・・昔からあったじゃん。
 つまり
 「未来はルーツにある」
 人気アプリの「美人時計」「美女暦」=毎日見る物と毎日見たいものを一緒にする・・・昔からあった。
 みんなが見たがるものの中にもぐりこんで広告をする。
 新聞にもぐりこんだ新聞広告は、読み応えのある文章で広告した。
 テレビにもぐりこんだ広告は、楽しさとかエンターテイメントで広告した。
 広告はいつもメディアの「似姿」で存在する。

 じゃあネットは?
 検索したり調べたり、「使う」よな、
 だから、そこに「似姿」としてある広告は「使ってもらえる広告」であるべき。

 細田守氏は「サマーウォーズ」で「家族愛という古くさいものをどう新しく見せるか」
 小津安二郎は「新しい映画とは、いつまでも古くならない映画だ」

 未来はルーツにある。
 新しい普遍をつくる。

 広告から広場へ。
 一方的に告げるのではなく、ユーザーが告げ合う場をつくる。それが広告の未来ではないか。
 評判になるものはいつもなる。
 やりくちは新しくても、普遍で太いネタをつくるのが企画の仕事。

 というお話でした。


 最後に来場者が
 「そのアイデアの源となるのはなんですか」的な質問をされた。

 とにかく、面白いと思ったら、どうしてそれが面白いかを考える事。ツイッターやブログでその面白いと思った事を要約して書くのは、自分の考えの整理になるし、財産になる、と。

 氏はインタラクリというブログを日々更新されている。

 そのブログの最近の記述にこうあった。

ーーーーーーー
常に「からっぽ」でありつづけること。
思考に集中するために、「からっぽ」を確保しつづけること。
それは、大事な習慣である。

メーラー、紙ストッカーは、「からっぽ」に。
メモ帳は、リアルタイムに、すべてのヒントと着想をメモし、
ブログは、定期的に、最新の気づきを成文化してタイプUPする。
こうして、いつも、最小限に身軽で、よく動きまわり、すぐ仕事すること。

そうありたい。
ーーーーーーー

だから、これだけぜんぶ吐き出すように話して伝える事ができるんだなと。

からっぽであることに貪欲でありたい。


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2011年3月22日 (火)

高松あたりなど

この連休、高松方面に遊びにいってきました。そこで感じたことなど。

○すぐやる活力

高松で行ってみたかったのが「街のシューレ」。
何でここを知ったのか覚えてないけど、ぜひ見てみたかった。

高松三越近くの駐車場に車を停め、商店街を歩いた。今アーケードの改装工事中らしいが、ガラス張りのドームや、いろんな路面店など、どこかヨーロッパの街並みのようだった。(行ったことないけど)

そしてそこで、こういうポスターを見かけたのだ。

http://twitpic.com/4bcdd4

これ、ツイッターで見かけたんだけど、こういうことらしい↓

ーーーーーーーー
「さとなお」@satonao310 氏 2011.3.13

皆さま、森本千絵デザイン、石川淳哉/佐藤尚之ディレクション、松永有子/押井猛協力で、このようなマークを開発しました。海外の義援金募集リクエストに応えたものですが、使用されたい方がいらしたらご自由にどうぞ。http://bit.ly/eZEiNB

ーーーーーーーー
このマークはここでダウンロードできる。

http://ideaforlife.jp/

震災後、自分たちにできることはなにかと考えた広告クリエイターたちの行動力の結実。

その流れをツイートで追いかけていたので、あ!あのマーク使われてるとポスターを見たのだった。

そして、そのマークをつけた募金箱が、その商店街のお店に置かれていた。「街のシューレ」にもあったので、カフェでお茶をいただいたおつりを入れてきた。

この商店街の誰かが、ツイートで知ったこのマークを使って、商店街のキャンペーンとして立ち上げて、募金箱を置いた。
マークを作った人々の素早くて熱い思いに共鳴して動いた人がいた。

なんというか、この商店街の活力の理由を見た思いがした。
すぐやる。 腰が重い自分への戒めとして。

○「街のシューレ」

素敵でした。ここに住みたいくらいだった。
思ったより広かった。カフェやギャラリーやショップがゆるやかに区切られて、その真ん中に教室となるスペースがある。一段高くステージのような広場のような感じで、キッチンがついてる。檸檬がなってる大きな樹がある。
その横に鳥かごがあって、インコのまるちゃんが鳴いてる。讃岐弁を勉強してるんだって。

Syure

扱われているものの確かさや素敵さは言うまでもないが、売るだけに留まらない。
「「シューレ」は「学校」や「学び」を意味する言葉。
お店に来ていただくことが、衣食住というライフスタイルの学び場と
なるような、そしてまちなかで緑や風や自然を感じていただけるような、
くつろぎの場所をつくっていきたいと思っています。」

そのようになっていました。3時間くらいいた。

いいなぁ。この「いいなぁ」はなにからできているのか。勉強になるなぁ。

○余白

ちょっと足をのばして、古民家を利用したレストランに行ってみた。

土地勘のない場所のドライブなので、予約時間に遅れてしまいそうになり電話をした。
もう30分は待つがそれ以降遅れると団体客が入っているので無理とのこと。
大慌てで向かう。ギリギリ到着。

そこは「古民家」というより、文化度もお金持ち度も高かったであろうお屋敷だった。
立派な母屋と離れがあって、美しいお庭もあった。
赴き深く花もいけてあった。
どのくらい後から手が入ったのかわからないが、モダンで美しい設えだった。
太くて立派な梁だった。

つぎつぎ、皿が運ばれてきた。このあとの予約で忙しいんだよね。
スタッフの女性はてきぱきとはきはきと明るく的確に対応し、料理を説明してくれた。

美味しくいただいて後にしたのだが。

なんともいえない感じで黙る。

いろいろ聞きたかったなぁ。このお屋敷はどういう経緯でレストランになったんだろう、母屋はどうなってるのか、箸袋やロゴのデザインかっこいいですねとかさ。
そういうのを、一切受け付けない感じがあった。
きちんと、的確に、明るく、大きな声で、
そういう「よくできる」こと以外にも、大事なことってあるんだな。

自分も、相手を黙らせるキリキリピシャリをやってしまいがちなので、余白って大事だなと思った次第。

○みんなの遊び場

行ってみたかったシリーズ、「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」に行った。

ちょうど「杉本博司アートの起源」もやっているし、見てみたかった。

Mimoca

ミモカって親しまれてるんですね。
丸亀駅のど真ん前の、ぱっくりオープンな場所にあった。
ちょうど日曜だったので、なんかいろんな雑貨なんかのフリーマーケットがひらかれていた。
アコーディオンとバイオリンの陽気な演奏がはじまったり、あいにくの雨だったけど、みんな楽しそうだ。
その横で、自然な感じで震災義援金の募金もしていた。

館内も、老若男女いろんなひとがいた。

現代美術館という、わからん難しい高尚な、という三重苦的イメージを軽々払拭してるかのようだった。
気軽に行けて、楽しめて、なんだかわからないけど感動して、心が躍る
そういう場所っていいなぁ。

カフェでは、特別展にちなんだ「五輪糖とほうじ茶ラテ」をいただいた。
讃岐和三盆で杉本氏がデザインした干菓子。

Rate

重ねるとこうなる。

Gorin

下から地、水、火、風、空を表してるんだそうだ。

茶席でこのかっこうで出されたら、正客から順に、上から取っていただくのよね。楽しいお菓子。

そう、常設展示のパンフレットの、猪熊弦一郎氏の「残された言葉」がよかった。
「絵として美しいもの」、猪熊氏が考えた美しい絵とは、新しい美とは、という問いに呼応する形でまとめられた著書やインタビューからの言葉。その一節。

「新しさということは自分です。自分を一番出したものが新しい。昔とか今とかいうんぢゃないのです。他人の持たないものが出る。それが新しいということです。(「猪熊弦一郎氏と語る」佐波甫『教育美術』12巻1号1951.1 12-20P)」

自分の新しさ、役に立てる力を出したいと思う。

○素敵デザイン

シメはやはり温泉である。

仏生山温泉、というとこに入湯してきた。

源泉掛け流しのマニアックな温泉に行くと、たいがい年期の入ったご婦人方がほとんどだったりするのだが、ここはこの通り、おしゃれで素敵。そのせいか、若い人が多いのにびっくりした。ぴちぴちした女性が友達と連れ立って入ってきては、湯船でガールズトークを咲かせていた。ロゴもかわいくて、グッズ(石けんとうちわ)つい購入。

お湯もぬるっぷるん系、低温浴では炭酸の泡が身体にまとわりつく。いい湯でした。

ものすごくいい湯なのにおどろおどろしいとか、循環カルキ臭いのに演出が上手とか、それは温泉だけに限らない。

デザインばっかし素敵でもしょうがない。でも中身の良さをよりよく伝えるデザインがなされていたらもっといい。そのデザインってのは、「意味」が含まれていなくてはだめで、感じがよいだけだとさみしい。へたすると、デザインで年齢性別をふるいにかけてしまうこともある。そういう機能を求めるならいいが、知らず知らず敷居を高くしてしまうと残念だ。

そんなことを考えながらゆだるほどつかって、広島に帰ってきました。

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2011年1月 7日 (金)

年頭挨拶 カモメのように

 新しい年がはじまりました。
 今年一年、またよろしくお願いいたします。

 さて、年頭に旅行に行ってきました。
 我が家はだいたい年2回、車で長旅をするのがここのところの恒例になっている。盆と正月。
 子供がいても目的地はなんとかランドではなく温泉。源泉掛け流し。
 息子が小学生となり、保育園時代と違って好き勝手に休ませられないので、今回も始業までのショートバージョンだったが九州北部をぐるぐるまわってきました。

 広島を出て延々高速を南へ走る。
 初日の宿は、長崎県 雲仙 小浜温泉。
 陸路でも行けるが、ドライブにも飽きて、熊本県側からフェリーで対岸の島原に渡ることにした。

 長洲と多比良を結ぶ有明フェリーの出航時間にもちょうどよく港に到着。

 オットが、「ちょっと行ってくる」とフェリーターミナルへ。
 戻ってきたその手には“かっぱえびせん”があった。
 運転の疲れか、スナック菓子なんぞ珍しいなどと思いつつ乗船。
 なんとか船内に座席を確保すると、ほどなく出航。到着まで約40分。

 「デッキに出てみようよ」
 このくそ寒いのにとも思ったが、息子とオットが小躍りしながら出て行くので仕方なくついていく。

 するとそこには カモメ がいたのだ。

 乗客たちは、それぞれなにかちぎって放り投げている。
 カモメの大群が、それを目当てに船に群がっていたのだ。

 息子は、あのかっぱえびせんを自分の口にも入れながら夢中になって投げていた。

 船内売店には「かもめパン」が販売されているが、売り切れることもあるらしく、かっぱえびせんを買っておいてくれたのだった。

 かーちゃんも息子からえびせんを奪い投げた。キャッチ!上手い!すごい!夢中で投げてなくなって、息子と「かもめパン」100エンを買いに走った。
 かもめパンはふわふわのコッペパンで、人が食べても旨かった。

 しばらく投げていると、カモメたちの動きがよく分かってきた。

 船に並飛して、客が投げた餌をキャッチして船を抜きさる。
 キャッチできるかどうかは、一瞬の勝負。キャッチできてもできなくても、飛び去り、船の前方で向きを変えて船尾に向かいまた戻ってきてチャレンジするのだ。

 手をかすめて飛び去った後、前方の海上でひらりと向きを変える鳥たちは、なんて楽しそうなんだと思った。
 風をうけて、余裕で、ひゅうとひるがえる。
 宙返りみたいに、くるくるんと回ってみせるものもいる。

 そして、真剣な顔で接近してきては、投げられた餌を、くちばしで見事につかまえるのだ。
 タイミングを計り、空中で急ブレーキをかけるように羽ばたきながらキャッチ。
 ミスったら、落ちていく餌を他のカモメが追いかけるように落ちていってキャッチ。
 たまに失敗して着水。でも平気。
 ミャアミャアキャアキャアと、大騒ぎしながら、綺麗な円環を描いていく。

 飛ぶいきものって、なんて美しいんでしょう。

Img_1882

 見てこのエサ目線。

 1匹、羽根の茶色っぽい子をずっと目で追って、その子めがけて餌を投げてみた。
 何周目かに、「あれこいつ俺に投げてる?」と気づいたのか、環を縮めてわたしめがけて飛んで来るようになった。
 ひゃっほ〜!という歓声が聞こえてくるような飛びっぷりだった。

 雪がちの海上の寒さも忘れ、時間もあっという間に過ぎて、島原に到着した。

 

 宿の湯につかりながら、カモメたちの姿を思い出していた。
 あの羽ばたき、ひるがえり、鳴き、キャッチする能力。
 生き生きと、生きている歓びにあふれていた。
 それを見るわたしもうれしかった。

 飛べないけど、今ある五感をちゃんと使ってるか?
 見えてるようで見てなかったり、聞いてる風で耳を塞いでたり、
 大事な暖かさを感じなかったり、粗末にしてないか?
 その五感をきちんとしなければ、その先の感覚が冴えるわけがない。

 感じることがすべてで、感じたことがすべてだ。

 その瞬間にナイスキャッチできる能力を、日々磨こう。

 そうやって嬉々として生きていけば誰かをまた歓ばせることができる。

 今年のスナリはカモメのように。
 めざして飛んでいきたいと思います。

 みなさまの1年もまた、光のような日々でありますように!





 
 

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